『竹迫牧師のキリスト教入門記』(仮)  もくじ


 1999年に行なわれた学生YMCA「夏期ゼミナール」での講演を掲載します。

 なんだか予備校の強化合宿みたいな名前ですが、毎年学生YMCAでは、テーマを設定し、
それに見合った講師を招いて講演を聞くという催しを続けているのです。
 わたしはそれまで、講師を招く側であり、あるいは講演を聞く側であったのですが、
いつの間にか招かれる立場になったのだなあ、と思うと、妙に感慨深いものがあります。

まだ書かれていない『入門記』の内容を含むものであり、またこっそり(?)『入門記』に
書かれるであろう結論もバラしちゃったりしています。
 もちろん、結論それ自体よりも、そこに至るまでのプロセスが『入門記』の主題ですので
それほど問題はなかろう、と判断します。

非常に長いです。実際には、3時間をかけて語った内容でした。

なお、小見出しはテープ起こしをしてくださった熊切さんの手によるものです。
自分で語った内容でありながら、「へぇ、おれってそんなこと言ってたんだあ」と気付かされる
くらい(^_^;)、的確なものであると思います。
 (録音やテープ起こしや編集をしてくださった皆さま、ありがとうございました。)


学生YMCA夏期ゼミ講演
「歌・出会い・イエス」

竹迫 之

日本キリスト教団浪岡伝道所 牧師
(前東北地区学生YMCA協力主事)
 
1999年8月18日 東山荘にて


はじめに

 いくつか最初に導入としてお話をします。
 ひとつは、この時間が終わった後、分団に分かれる予定ですが、その分団の「発表」の時間を利用してパネルディスカッションをしたいと考えています。五つ分団がありますから、それぞれ代表を決めてもらって、五人のパネラーと、わたしと堀江さんとでフリートーク(座談会)をする。会場からも、いつでも乱入可能という形をとりたいと思います。
 できるだけ皆さんで一緒に対話をしたいのですが、いまここにいる三十人くらいで一斉に対話をすると、とんでもないことになりますので、パネルディスカッションという枠組みを作っておきたい。そのことを意識しながらこれからのお話を聞いていただければと思います。


江有里さんの話を聞いて

 昨日堀江さんが「浪岡伝道所がビアン伝道所の親教会だ」というお話をしてくれました。親教会としては見事に本当に何もしてないわけですが、それでも親教会にしてくださるということで、非常に感謝しております。私は以前ある牧師から「教会は、そのままでは教会ではないのだ。他の教会を生み出す時それは教会になるんだ」という話を聞かされた記憶があるんです。何にもしてないのに、生まれてくれた。「これは浪岡伝道所が教会になりつつあるのか」とか、そんなことを考えて感無量であります。
 わたしも牧師をやっているわけですが、「何故牧師なのか」ということを問われた時に、牧師というのを単に職業という枠で捉えきれないでいる自分を感じます。昨日堀江さんが言われたように、これは自分の生き方なんだ、ということを、やっぱり感じております。これはわたしが(ここでは実名を出しますが、できれば外に発表する時はイニシャルで表示していただければと思いますけど)「T協会」ってとこを脱会した後で、これから詳しく話しますが、「自分を組み立てなおす」と言うことを非常に要求されたんです。その過程で神学校に入りました。神学校というのは牧師を養成する学校だということを知らなかったもんですからツブシが利かなくなってしまって、そのまま牧師に流れてしまった。牧師というものを単なる「職業」と割り切れない。なんと言うんでしょうか、これもうまく言葉にできないんですが、「自分の生き方としての牧師」という捉え方をしていたりしています。そんなことを、昨日堀江さんの話を聞かせていただきながら考えました。
 そういうことから、わたしはこの「リソースパーソンと共に」の竹迫版、これを「堀江有里に奉仕する時」と位置づけます。2年前の夏期ゼミの、言ってみれば「出会いなおし」ということが、堀江さんと皆さんには大きなテーマとしてあるようですが、そこに奉仕するための時間として使っていきたい。わたしのこの時間も、そのことを目指して、語られるということです。


『竹迫牧師のキリスト教入門記』

 皆さんにはホームページに公開をさせていただいている『竹迫牧師のキリスト教入門記』を事前に読んできてください、と宿題を出しました。皆さんが応答や質問を書いてくださって、なかなか気合の入った応答がたくさんあって、非常に興味深く読ませていただきました。今日のお話は、まだ書かれていない、発表されていない、あの『入門記』の続きの内容を語るのがスジであろうと思いまして、そのお話を最初にいたします。「その後の『入門記』」です。
 『竹迫牧師のキリスト教入門記』、まだこれは正式なタイトルではありませんけれども、「キリスト教入門の顛末を書いたものだ」と最初前書きで断っています。思いきり結論から言ってしまうと、「いま現在、なお竹迫牧師はキリスト教に入門中である」という所が、あの本の結語になるであろうと思っております。まだ入門中、つまりそのプロセスの中にいるんですね、わたしも。
 『入門記』は、わたしにとって、自分を再構築するための闘いのひとつです。と言うにはまだ半分しか終わってなくて、いまだにその闘いは続いているわけです。「字を書くよりも頭掻いてる時間の方が長い」っていう感じ。少なくとも四日間はそれだけに集中できる時間がとれないと一字も書けない状態になってます。この「それだけに集中する時間」を確保するのが、ちょっと難しい。というのは、これまで自分で蓋をしてきた記憶を開けて、それを引っ張り出して、いいかげん腐ってて悪臭がするようなものを、敢えて見る、臭いを嗅ぐ、しゃぶるぅ(笑)、みたいなところまでいくわけですね。これが大変なストレスでして、電子メールによる『通信説教』がストップしてしまったくらいです。しかし、これをやらないことには次の自分はない、というようなところがありますので、だから横山さん、恨んでいるわけじゃないんですから、気にしないでくださいね(笑)。むしろ「いい機会を与えてくれた」と思っています。そんなこんなで、今でも「自分」を作りなおす闘いを続けている途中であるわけです。まだプロセスの中にありながら、今までのプロセスを振り返るという形で、『入門記』のまだ書かれていない部分に関してお話をしたいと思っています。


「小木事件」

 その前にです。あの『入門記』をきっかけにしまして「小木事件」というのが起こりました。これもご存知の方はご存知だと思いますが、『入門記』の感想を書いて頂こうと思って掲示板をそこに置いたんです。そうしましたら、現役のT協会員がそこでイチャモンをつけてきた。いきなり「わたしは19歳の時から信仰を持っているT協会員です。M教祖は救い主です」という主旨の書き込みがあったんですね。
 これはある程度予測していたことでもあります。実は、そういう人が出てきて掲示板で対話することで『入門記』そのものが補完されるのではないか、という狙いがありました。ですから「待ってました」という感じでバトルを展開したわけです。これも、『「小木発言」を巡る議論の記録』と言うタイトルで、全部その記録をホームページにアップしておりますので、もしアクセスできる環境の中にいる人は、ぜひ読んでいただきたい。カルトに入ると人間はこうなってしまう、という見事なサンプルではないかと思うわけです。
 この「小木事件」に対しては、予め狙っていながらも、ちょっとしんどい思いをしたわけですが、今は一応収束いたしました。ところが、この小木と名乗る人物がわたしに個人メールを送って来るんです。今朝も一通届いたんですが、学生YMCAのホームページに公開しているわたしの説教を一編一編読んで、その感想を送ってきやがるんですね、こいつ。送ってくるのは構わないんですが、「おおむねいい説教だと思いましたが、T協会をカルトとするのは納得できません」とか、どうでもいい感想を送ってくるんです。批判されたことに対する反論も謝罪もない。全然反省してない。
 そんな形で、今でも続く「小木事件」なのですが、しかしこれを通じて、会ったこともない人たちも含めて、色んな人たちがメールでたくさん支えてくれました。私は「ひょっとしたらT協会のほうが正しいのじゃないか」という気持ちに、今でもふっと戻る時があります。フラッシュバックと言いますけどね。そういう時に、また小木からの個人メールが来てたりすると、たいへん打ちのめされちゃったりするんですが、「あなたは間違ってないよ」「あなたはそうやってよかったんだよ」ということを伝えてくれたりする。そう言う人たちとメールのやり取りをして行く中で、頭の中に甦ってくる数々の「歌」があります。その中のひとつを、後でみなさんと一緒に歌いたいと思っています。
 さて、そうした情況を踏まえまして、『入門記』のその後の話をいたします。


『入門記』のその後

 『入門記』そのものは、現在のところわたしがハンカチ売りをするために北海道へ行くところで中断をしています。ハンカチ売り活動を一ヶ月ほどしました。ハンカチ売りっていうのは、「自分はさるボランティア団体のメンバーです。このハンカチの売り上げが、恵まれない子どもたちのために使われます」とウソをつき、ニセの身分証明書までも作って、ハンカチを売る。巧妙なのは、収益の中の一部を、実際にそういう所に寄付するんですね。そういう実績を作っておいて、それを「証拠品」にしながら詐欺を重ねる。それをわたしは一ヶ月の間にどう考えても八十万円から百二十万円ほどをハンカチ売りで稼いだという計算になるんです。これは一円も自分のものにはなりません。全部T協会のものになったわけです。
 現在わたしが所属している浪岡伝道所の予算が、年間三百万円弱です。わたしには、月間百万円前後稼ぐ能力がある。その能力を今使えば、とかいろんなことを考えます。まあ、やりませんけど(笑)。


骨折と帰郷

 ただ無理は出来ないもんでして、一ヶ月この活動をしたところ、雨の中で転倒をしまして、足首を骨折するという事故に遭ったんです。最初は「捻挫だ」と思い込んでそのまま走り出したんですが、当然十メートルぐらいで動けなくなりました。足を引きずりながら待ち合わせ場所まで行きました。この時はワンボックスカーの後ろで寝泊りしていたんです。みんなで8人くらいがひとつのクルマの中で寝泊りするんですけど、後ろで折り重なって寝る。体を斜めにしたまま、餃子の様に重ねていって寝返りも打てない状態で、これは通称「ギョーザ寝」と言ってましたけれども、人数が増えるとひざを抱えて丸くなって寝る。これは通称「シューマイ寝」といってました(笑)。そんな状態だったんです。足の骨を折ってましたので(まだ捻挫だと信じていましたけど)、そういう状態で寝ると大変な激痛なんですね、その晩は本当に一睡も出来ませんでした。
 足が翌朝「バン!」と腫れていました。そのときハンカチ売り部隊の隊長をしていたのが、元々自衛隊の中で救急車を運転していたという人で、「これは変だ」ということで病院に連れて行かれましたら、医者に「君、これ折れとるよ」と言われて、初めて骨折だと知ったのです。旅行中ですとウソをついて保険証も持っていなかったもんですから、ギブスで固めてもらえませんで、添え木だけして包帯でぐるぐる巻きにして。その後、ハンカチ売りの隊長と池袋のT協会の責任者の間でトップ会談が行なわれたらしくて、翌日「竹迫は東京へ帰れ」ということになりました。T協会というのは働けなくなった奴をどんどん捨てる団体なのです。ところが、帰る時も松葉杖がありません。「松葉杖っていうのは医療品だから手に入らない」とかわけのわからない説明をされて、「杖なしで帰ってくれ」と。それだけでなく、「我々も忙しいのでお前に付き添いをつけることが出来ない。ひとりで帰ってくれ」。その時は弟子屈という所にいたんですが、そこから釧路まで列車で移動して、釧路から東京行きのフェリーに乗って、片足けんけんで帰りました。
 T協会は、東京に病院も持っています。戻ってから、そこに治療を受けに行ったんですが、またしても病院と池袋T協会の責任者の間でトップ会談があったらしく、正式な治療はされませんでした。また包帯でぐるぐる巻きにされて、「お前は未成年者だから家に帰って直せ」と言われた。なぜ未成年者だと家に帰らなければならないのか、理由の説明は全然ないんです。T協会では、上司の言うことは絶対で、それに疑問を持つことすら罪である、という教え方をいたします。この時の私も一瞬「変だな」と思ったんですが、反射的に「そんなこと思っちゃいけない」と考え直して、「帰ります」と応えました。なんて可愛い奴でしょう、今では想像もつかない素直さ(笑)。
 そんなわけで、家出状態だった実家に帰りまして、その二日後くらいにようやく地元の病院でギブスをはめてもらった。ちょっとリハビリに時間がかかったんですけど。まあそんなことで一時身柄がT協会から離れた。


脱会を「決意」する

 私の家族は、「T協会に入った息子が家出した」ということで、その間ずっと情報収集をしていて、どうやったら辞めさせられるかと、対策を練っていたんですね。そこに私が片足けんけんで帰ってきました。「かもねぎ」という言葉がありますが、もう「待ってました」状態です。うちで寝てて一週間ぐらい過ぎた頃にキリスト教の牧師が現れた。この牧師ってのが、現在の私の師匠に当たる人ですが、見た目がキューピーちゃんで、しかし腕は毛むくじゃら。牧師っていうと、私にはひとつのイメージがあったんですが、どっちかっていうと西田敏行みたいな、あるいは漫画にしたブルース=ウィリスみたいな、全然イメージと違う。「こいつはホントに牧師なのか、ニセモノではないか」とか、そういう迷いまで含めながら、この牧師と対話をした。
 まあ対話にはならなかったですけど。『小木発言』をお読みになった方なら分かるとも思いますが、あの「小木」が当時の私であったと思ってください。話が通じない状態です。自分の言いたいことを相手に聞かせることだけが関心で、つまり「いかにして相手に勝つか」、それだけが目的になっているんですね。対話なんて成立するはずがありません。
 そんな私に、どうして脱会するという決意が出来たかというと、実は決意したのでもなんでもないんです。親が、あまりにも話が通じないので絶望して、心中することを考え始めたんですね。それまでも包丁を持ってきて「生きる」の「死ぬ」の、と派手なことは何度かあったんですが、それは見ていて「芝居だ」とよく分かりました。「こいつは、本当に死ぬ気ではないな」と。
 ところが、このときだけは違ったんです。私は横になって寝てるわけですけど、枕もとにきちっと膝を折って座って、もはや私と話をしてくれないんです。わたしには弟がいるんですが、その弟を枕もとに座らせて、「お兄ちゃんがこんな状態だから、お父さんとお母さんは生きていけないけど、お前も一緒に死んでくれるか」っていう話を始めるんですね。彼は「やだ」って言ってましたけど(笑)。
 「これは本気だ」と思いました。私は「両親が死んで先に霊界に行ってくれた方がありがたい。話が早い」とか罰当たりなことを考えていたんです。しかしT協会の教えによれば、T協会のメンバーである自分まで殺されると、家族を霊界において救う人間(そういう立場の人を、T協会では「氏族のメシア」と呼んでいました)が失われる。これでは竹迫家の救いは起こらない。「たとえ家族が全滅しても、わたしだけは生き延びなくてはならない。私さえ生きていれば家族全員が救われる」、とまあこういう思考をするんです。それで、「分かった、辞める」とウソをつきました。


「竹迫は転んだ!」

 ところが私は友達を数人T協会に引き入れておりました。親は、「やめる」と言った私のウソを簡単に見抜いて「お前あの友達はどうするつもりだ。お前だけが辞めるので済むのか」と詰め寄りまして、「殺されたらかなわんから」と覚悟を決めて、「友達も一緒に離れるよう勧める」と、その場限りの空約束のつもりで言いました。ところが両親はそんな私を信用するはずがなくて、「お前が本当に友達を口説いて回るかどうか、監督として牧師を付ける。その牧師といっしょに行動しろ」と申し渡されました。あの「キューピーちゃん」と、です。
 私は松葉杖をつきながら、キューピーちゃんと一緒に友達の所を転々と回りました。その時は「T協会は問題が色々あるらしい。それで反対する意見も多いので、一時T協会から離れて、『原理』(っていうのはT協会の『教え』のことです)を勉強しなおそうじゃないか」と言おうと思っていた。つまり「偽装脱会をしよう」と呼びかけるつもりだったんです。ところが私について来る牧師が、膨大な資料を持ち込むわけです。脱税のからくりとか、あるいは脱税のからくりを暴露した人が刺された事件とか、いろんな資料があります。これを淡々と読ませるだけで、わたしの霊の子達は「ヤバい団体だ」ということに気付いて、次々に自分からやめていったんです。T協会を。
 その情報がT協会に漏れまして、「竹迫は転んだ」と。確かに転んで足の骨折ったんですけど(笑)。そういう意味じゃなくて、「落ちた」。あいつは寝返ったという情報が流れたんです。


死に直面する恐怖

 私が所属していたハンカチ売りの部隊というのは、T協会の中でもちょっと特殊でして、当時の池袋地区の責任者のポケットマネーを稼ぐための私設機関だったようなんですね。だから、T協会内部でも秘密のセクションだったようなんです。そういう裏組織が露見することを恐れたんでしょうか、だから「未成年だから帰れ」なんてムチャな話が出たんだな、と後で納得できました。そういう事情もあったんでしょう、物凄い脅迫電話にさらされることになりました。私は「誤解された」と思って、T協会へ釈明に行こうとしたんですが、池袋の歩行者天国を松葉杖で歩いている最中に、かつての仲間たちにわっと囲まれて、そのまま路地裏に連れこまれて蹴られる、という体験をしました。「スパイ」とか「サタン」とか言われたんですけど、彼らはT協会の中では「世界のために戦う仲間」だったはずなんです。それが簡単に「敵」になる。そして、かかってくる脅迫電話の中にどう考えても知り合いのものとしか思えない、聞き覚えのある声も幾つか混じっている。そんなのが、夜中2時ごろに電話をかけてきて「死ねぇっ」とか叫んで切れるわけです。
 これで両親や牧師が何を問題にしてたのかということを、初めて私は理解したわけですよ。そこからまじめに「やめる」ということを考えた。また、まあ物理的にも戻れなくなってしまいましたけど。
 私がワークブックにメッセージとして載せた中に「死に直面する恐怖」ということをチラッと書きましたが、ひとつはこれです。あ、これは二つ目ですね。一つ目は、私の両親が心中を考えた時の「殺されるかもしれない」という恐怖。非常にリアルな恐怖でした。二つ目が、このかつての自分の仲間たちに殺されるかもしれない、という恐怖。これがほぼ一週間以内に立て続けに起こったわけです。そこから、大変怯えた毎日を送るようになり、いつでもナイフを持って歩いていました。いつでも背後の人影に緊張するという。
 誰かが背後にうっかり立つと、問答無用で殴り飛ばしてしまうという、「ゴルゴ13」のデューク東郷という人がいます。こーんな顔(−−)した人です(笑)が、まるでデューク東郷みたいな生活ですね。


いつでも逃げられるように

 私はT協会に入ったことで、それまで自分が持っていた(みなさんとほぼ共通していたであろう)「世界観」を解体され、新しい「T協会の世界観」を注入されていたんですね。その「T協会の世界観」が崩壊してしまった時に、元々持っていた「世界観」も既に崩壊させられている状態ですから、自分の還って行く場所がなくなっていた、ということです。
 「還って行く場所」というのはちょっと抽象的な言い方なんですが、道ばたを歩いていながら「誰かに襲われるかもしれない」ということを始終考える人は、そういないと思うんです。ところが、そういうことを考えざるを得なくなってしまう。例えば脅迫電話の中には、ほとんどストーカーみたいな感じで「今日お前何時ごろ○○にいたな」という話をする奴もいるわけです。いつ、どこで、誰が見ているかわからない、という恐怖。夜中にも電話がかかってくるわけですが、そういう夜中に酔っ払いが外を歩いてたりすると、その足音を聞いて「あれはT協会員ではないか」と。
 だから、いつでも逃げられるように、靴をはいたまま寝ていた時期もありました。身の周りのものをすぐに持ち出せるようにして。最初はバッグに入れて枕もとにおいていたんですが、それじゃあ重過ぎるということで更に切り詰めて、フィッシングベストというポケットがいっぱいついたベストにいろんなものを詰め込んでおく。ヤドカリ状態ですね。それをいつでも身につけて歩く。あるいは、いつでも帽子を被っていて、雨が降っても傘をささないで済む、とかですね。ある人に「これは全天候型ファッションだ」と笑いものにされたんですけど、そうじゃないと安心できなかったんですよ。「いつでもおれは逃げられるんだ」という風に思っていないと安心できなかった。


本が読めなくなる

 このことは、自分の肉体上の問題だけではなかったわけです。自分がおかれている情報環境に対しても、安心することが出来なくなった。これは症状としては、本が読めないという形で現れました。
 私は元々本を読むのが好きだったんですが、この体験を通じて「宗教って何なんだろうか」ということをもう一編考えてみようと思って、宗教、特に新宗教の本をたくさん買って読もうとしたんです。ところが、今でも覚えているんですが、ある本には「戦前の日本には、天皇制という統一原理があった」という文章があった。「原理」って言うのは「T協会の教え」も同じ名前なんですね、私にとっては。バッと反射的に本を閉じて「おれは今、何を読んでいたんだろうか」。
 で、もう一度本を開けて、「そういえば、おれはどっから読み始めたんだっけ」とページを逆戻りするのですが、どこが読み始めだったか分からなくなっている。それでようやく、文章の一文一文が何を意味しているのか、さっぱり理解しないまま本のページをめくっていた、ということに気付くんです。実に「前書き」の二行目くらいから、意味を理解しないまんま字面だけ追っていた。そういうことに、本の半分ぐらいまで進んでから初めて気づく。
 入ってくる情報が「サタンによる情報」ではないのか、あるいは「ウソではないのか」「本当だと思っている自分の方が間違っているのではないか」なんてことを考え込んでしまう。普通は、「あの人はこう言ってるんだから、こういう意味に受け取るのが常識」という感覚を持っていると思うんですが、そういう感覚自体が崩壊しているんですね。だから、「T協会はだめだ、間違っている」ということを考えていながら、実際にはT協会の教義に従って生活をしてしまう。朝起きると、M教祖の方角に向かってお祈りをしてしまう。三拝敬礼式と言いますが、両手を上に挙げて、その姿勢で床までベタっとつく。これを三回やる形式のお祈りです。夜中は怯えて2時間ぐらいしか寝てないので、眠くてぼーっとしているのですが、「やらなきゃ、やらなきゃ」という思いでアタマが一杯で、お祈りしているわけです。で、意識がはっきりしてくると「おれって一体何をやっているんだ」ということが分からなくなる。
 そんなふうに、自分の判断も相当信用できなくなっているので、外部から入ってくる情報なんか、もっと信用できない。本が読めなくなるんですね。これはもう共通感覚としての「世界観」の喪失、としか私には言えない。


世界観の喪失

 我々は何となく共通する「世界観」を持っていると思います。例えば「地球は丸い」。地球は丸いっていうのは、「事実」というよりは「世界観」だろうと思いますね。実際我々の中で、それを肉眼で確認したという人は滅多にいない。だけど、幼稚園児ですら「地球は丸い」ということを知っている。そういう「世界観」の中で我々は生きているわけです。このことは、普段特に意識する必要はないわけですが、そのへんから私は壊れていたわけです。M教祖の方角に向かってお辞儀しちゃう等の、T協会員としての生活様式が残っていますので、T協会のための仕事をしていない自分に、非常な罪悪感を感じてしまう。片足骨折しているにもかかわらず、「一円の売り上げも出せない自分はダメだ。世界の救いに貢献できてない」なんてことをずっと考え込んでいて、ハッと「そういえば、おれT協会をやめたんだっけ」と思い出す、そんな状態。
 T協会内にいた時の「目標を達成できなかった」という挫折感と一緒に、「T協会にだまされていた」という意味での挫折感も持っているのです。そして、『入門記』の中でも書きましたが、「親を乗り越えるぐらい自分は成長したのだ」と思ってたのに、それが単なる思い込みに過ぎなくて、「本当は自分は、全然成長していなかったんだ」と悟った時の挫折感。これらはもう、全部「敗北感」とまとめて言ってしまっていいと思いますが、そういう敗北感のとりこになっていたわけです。「おれはダメな奴だ」としか思えない。そして、「世界観」が崩壊しているので、同じ世界に住んでいながら、その世界での成長のモデルというものを自分のモデルに出来ない。これは昨日の堀江さんの話の中にも出てきたことでしたが、将来像のモデル、生き方のモデルを、他人の中に探すことが出来ない。
 当時、「T協会を脱会して牧師になった」という人と知り合いになったんですけど、この人も脱会の過程でいろいろあったんでしょうね、大変狷獪な人物で、うっかり不用意な発言をすると思いっきり怒られるんですね。どこに地雷があるのか分からない人でして、話をするのに苦労をしていましたので、私はその人を生き方のモデルにすることはとても出来なかったです。
 余談ですが、その頃よく付き合っていたのが、さっきの「キューピーちゃん」の牧師です。生まれたばかりのひよこが、最初に見た「動いているもの」を親だと思い込むのと一緒で、私にはこの人が生き方のモデルになっていったようです。「すり込み」ですね。だから牧師になっちゃたのかな、とか今になって思うわけですが。


「脱会者に会いたい」

 そんなわけで生き方のモデルケースを見つけることが出来ない。自分で自分を受け入れてない。大変な「孤独感」と言うか「疎外感」と言うか「敗北感」と言うか、要するに「自分は自分のままであってはならない」と禁止するような圧力が、自分の内側から生まれてくる。今でも言葉にしにくいんですが、そんな状態になりました。
 だから、「仲間に会いたい」と痛切に思いましたね。何も疑わず何も考えず、仲間たちといっしょになって世界のために働いていた、あの時代に戻りたい。あの仲間たちと一緒にいたい。夢に出てくるんですよ。T協会の仲間がずらっと並んで、皆でT協会の歌を歌いながら「竹迫、そっちは間違っているから戻ってこい」と呼びかけてくる夢を、今でも見るんですね。仲間に会いたいという気持ちは痛切にあるのに、しかし恐怖感があって行けない。そこで自然に、他にT協会をやめた人たちがいないか探すようになりました。「脱会者」に会いたい、と願うようになった。
 わたしはT協会を辞めるつもりがないのにやめてしまった中途半端な状態だったんですが、「キューピーちゃん」の牧師のところに「ウチの子がT協会に入っちゃたので助けてくれ」という相談がわんさと来てたんですね。この牧師とつるんでいれば現役の仲間と会うことが出来る。ある意味で非常に歪んだ動機でもって「脱会者」として協力を始めました。「自分はT協会の中にいたとき、こういう事をさせられました」という証言をして歩くようになった。しかし、そういう自分に「ますますサタンになってしまったぁ」と自分で傷ついて、お酒に逃げる。そういう、どうしようもない状態でした。


「通過儀礼」としての目の手術

 そこから、どうやって自分というものを組み立てなおすか。それは人それぞれによって違うんでしょうし、私はこうだったというお話しかできないんですけど、ひとつには、目の手術を受けたことがあります。私は斜視だというのが大変なコンプレックスになっていたので、「手術を受ければ矯正できますよ」という話を聞いて、とにかく人と目を合わせて話をする苦痛さえ何とかなれば、変わることが出来るような気がする。そう考えて、手術を受けようと希望したのです。
 これが大変な手術でした。眼球から筋肉組織を一部はがして、別の所に縫いつけるというもの。これを点眼麻酔でやるんです。当然、目を見開いた状態でやるので、刃物が迫ってくるのが見えるんですね。しかも大学病院だったので、研修生と医師がお互いに顕微鏡を覗きながら「今から○○するからね」「はい分かりました、先生」なんて、これから行われることがいちいち詳細に説明される。時々「そこ離したらダメッ! なにやってるんだッ!」みたいな、「うっそー」ていうやりとりが交わされたりして(笑)。麻酔しているとはいえ、手術の間は大変痛かったです。自分の握りこぶしの中指をちょっと立てた状態で、目をぐりぐりと押してみてください。それを思いっきりゴン!とやったような痛みですね。これを手術の間ぐりぐりゴン!とやられ続けまして。手術自体は三十分ほどで終わるんですが、終わって麻酔が醒めてからが大変でした。当然、痛みもあります。左眼から後頭部へ鉄の棒を刺し込まれたような激痛。平衡感覚が狂っているから、数歩あるくと吐くんです。
 そんな状態なのに「麻酔が効いているうちに帰ろう」なんて虫のいいことを考えて、病院からすぐに電車に乗ったんですが、電車に乗っている最中に麻酔が醒めて「げぇっ」と吐くわけですね。駅員に「これは本当にクスリのせいなんですか。酔っ払っているんじゃないでしょうね」とかいろんなことを言われながら病院に逆もどりして、一日だけ入院させてもらいました。医者や看護婦からは「普通そんなに苦しまないもんだよ」と言われて、まるで私が悪いことしてるような気分になりながら。
 これは、自分にとっては「通過儀礼」の意味を持ったんだろうな、と今では思います。一種の「死の体験」ですね。新しい自分に生まれ変わるための。単に「斜視が矯正された」ということだけじゃないと思います。そういうことを潜りぬけたので、新しい自分になれたのかな、という気がしてます。


変化の糸口

 全ての変化の糸口はここにありました。私はどっちかというと「人と違うことをしたい」ということをぼんやり考えている青年だったんですが、「人と同じ生き方に戻りたい」と願うようになっていた。とにかく人と同じになりたい、とにかく社会復帰したい、他人と同じ事をしたい、という願いを強く持つようになっていました。
 で、まずやったのはファミコンを買うことでした。「おたく」らしく(笑)。当時発売されたばかりの『ドラゴンクエスト』を、ずーっとやっておりました。これも、当時の私にはひとつの手がかりになったのだと思います。ご存知のとおり『ドラゴンクエスト』というのは、主人公は子どもなんですが、その子どもが親元を離れて怪物と闘って世界を救う、そのことを通じて勇者へと成長して行く、というストーリーなんです。これは私にとって「成長のストーリー」の回復だったと思いますね。「人間は変われるんだ。何かと闘って行く中で変われるんだ」というようなメッセージを、そこから無言のうちに受けていたような気がします。


写真屋でのバイト

 それから、T協会に吸い取られてお金がなくなっていたものですから、バイトを始めました。当時は、日大芸術学部の写真学科にいたんで、写真屋さんのバイトをしました。結局、大学は中退したのですが、中退後も一年間同じ所で働いていました。『入門記』の前書きに書きましたけれども、ここで非常に象徴的な体験をしました。中退した大学のすぐそばにあったお店なので、学生証の書き換えの時期だから、友達がみんな証明写真を撮りに来るんですね。彼らは、わたしが中退したことをまだ知らない。わたしは店員として、彼らの証明写真を撮影する。ファインダー越しにその友達を見ながら、写真を撮る。こっちがわにいる自分は、既に学校を辞めているんですね。「もう、住む世界が違うんだなー」ということをファインダー越しに見て考えながら、彼らの写真を何十枚も撮り続けた。
 働くことで、もちろん給料をもらいます。「自分で自由に使えるお金」のはずなんですが、お金を自由に使う能力がないんです。T協会では、お金は全部T協会に預けていたわけですね。「それが正義だ」と信じてた。しかし自分でお金を使うってことになると、「のど乾いた」とアイスコーヒーを飲んでみたり、あるいは「おおおっ!」と心ひかれるままに、素敵なお姉さんの写真が載っている雑誌を買ってみたり(笑)、そういう使い方をする。これ、T協会では全部「罪」です。罪だと言われていたことをやれる自由。これまで使えなかった自由を、いきなり取り戻した。無駄遣いばかりして、計画的にお金を使う、またはプールしておくということがなかなかできませんでしたが、経済能力のリハビリになったんだろうな、と今にして思います。
 そしてまた、お店にはいろいろなお客さんが来るんです。中には、非常に高級なカメラをもっていながら、自分でフィルムをいれることができないなんて人もいる。フィルムの装填を写真屋にやらせるのがサービスだ、と思っている。「撮れてないじゃないか」って文句言ってくる人もいまして、「そりゃ、おまえが悪いんだよ」って喉元まで出かかるんですけど、店員ですから「すみません」って謝るしかなかったり。いろんな人との間に突発的に起こるトラブルに店員として対処していくことが、対人スキルや決断力・行動力の回復のリハビリになったんだろうなと思います。


竹迫流ダジャレの起源

 本が読めないのはどうしてもイヤなことで、とにかく読めるようになろうと努力しました。家からバイト先まで電車で片道四十分から五十分かかるんですが、その間ずっと本を読んでいました。「本を読む」と言っても、文章ひとつひとつを分解する読み方。線を引きながら、「○○は、△△の時、××である」と文節に分解して、「この『○○は』と言う主語は、『××である』という述語にかかっている。それを修飾するのが『△△の時』という言葉だ。『△△の時』という言葉は、後ろの方では肯定されている」というように、再び組み立て直す読み方。こういう、一ページ読むのに三日ぐらいかかる読み方を、毎日通勤電車の中でしていたんです。
 もともと本を読むのは好きだったんです。だからそれなりに、同じ年代の人に比べると、いささか深い読み方をするというところが元々ありましたけど、こういう読み方の練習をしたおかげでそれが加速されまして、今では「これを書いているときの作者の心理状態はどうだったか」というところまで、ある程度分かるようになってしまいました。そんな風に、言わば「論理学」の独学をしまして。これが、情報収集や分析の能力の回復に、そして他者とのコミュニケーション能力の回復ということにも繋がったと思います。
 このため、一種の副作用として「ダジャレ」、つまり同音異義語ですね、そういうものに注目をするようになりました。例えば、一昨年の夏期ゼミの開会礼拝で、『WAになって踊ろう』という歌をみんなで歌ったそうですね。その話を聞いて思いついたのが、
♪おー森サワ になっておーどろー♪
ってやつで。分かりますか?(爆笑)
(竹迫注:学Y関係者に「大森佐和さん」という人がいるのです)
 こういうのはもう条件反射的に出てくるようになりましたね。絶えずダジャレを考えています。そして、絶えず発表の機会をうかがっている。


教会に行き始める

 他には、教会に行き始めた、という変化もあります。これは、とにかくかつての仲間たちと出会いたいという願いだけが動機でしたから、不純ですけど。そのうち、かつての仲間の一人が「洗礼を受けます」と言うのにビビって「おれも受けます」と反射的に答えてしまった。以来、クリスチャンになった(笑)。


座標軸としての「男らしさ」

 ぐじゃぐじゃの不安定なカオス状態にいたのが、色々な体験を通して「自分がどういう状態にあるのか」ということを、だんだん自覚するようになった。それに伴って、どこかに座標軸を固定したい、と思うようになりました。「自分の中で永遠不変に変わらない物は何だろうか。そんなものはないのだろうか。いや、あるはずだ」的な考え方をして、「自分が男であるという事実は変わらないだろう」と思いついた。
 当時は、そもそも「ジェンダー」なんていう発想がないんです。ジェンダーという発想がじぇんじぇんだーってなもんで(笑)。セックス イコール ジェンダーでした。「自分の性的な事実は変わらないだろう。そして、おれは男である」と。それは生まれてから死ぬまで変わらない事実だ、と思い込んでいた。そうして「男らしさ」を過剰に意識するということになりました。
 これは、確かに当時の自分には一つの手掛かりになったんですが、副作用の方も大きくありました。ジェンダー=アイデンティティをとにかく強化する。すると、「ホモフォビア」と呼ばれていますが、同性愛恐怖を強化することになったのです。ジェンダー=アイデンティティを揺らがせることは、全部恐怖の対象になる。自我が崩壊する恐怖に直結してしまうのです。だから、私は同性愛者が嫌いでした。嫌いというか存在を認められないといいますか。「ホモなんか殺せ!」という発想を、当時していたと思います。殺すわけにいかないから、ホモは笑い者にする。じゃなきゃ、自分を保てない訳ですね。昨日の「ゲーム」の時に少しお話しましたが。
 あ、そのゲームのことに触れますが、昨日の「価値観ゲーム」というのは、実はたいへん居心地が悪かったです。というのは、ああいうワークショップをT協会ではしょっちゅうやるんですね。だから、ワークショップ的なところに立ち会うと非常に息苦しさを感じます。「またやられる」という恐怖感が出るんですね、で、昨日はとうとう途中で我慢出来なくなって、外にタバコを吸いに出ちゃったんです。そんなこともあって、私自身は割と不快感しか残らなかった。
 ただ、何かの問題(私の場合で言えばカルトの問題ですね)に取り組み始めると、解決の糸口だけでなく、もっと根源的に「何が解決なのか」ということが見えなくなることがあります。もちろん模範解答なんかない。それどころか、「正解」すら存在しない場合がほとんどです。そんな状態で、自分の責任において行動することが要求される。自分の判断が正しいという保証は、どこにもありません。みんな迷いながら行動しているわけです。その一方で問題は現在進行形で続いて行きますから、とにかく時間との闘いになる。正しい分析なのか、正しい判断なのか、というところが曖昧なまま、とにかく事態に対処していかざるをえない。当然、失敗も起こってくるわけです。時には、目に見える解決に辿りつけない自分に非常にイライラする。そういうイライラをモデル的に体験するという意味では、昨日のワークショップは非常によかったな、とも思ったりしたんですけど。
 すいません、ちょっと脇道にそれましたが、ですから同性愛者に対する「恐怖感」としかいいようがない感情を、わたしは抱え込むことになった。そこで、ジェンダー=アイデンティティをさらに強化する事になる。この裏返しとして、「恋愛依存症」的な状況になりました。絶えず異性と恋愛関係にないと、自分が保てない。そんな状態になってしまいました。


回復の初期のプロセス

 「自分の中に座標軸がないと困る」ということで、そこに「おれは男だ」「より男らしくなるぜ」という手がかりを置くことにした。その時期は、全てを「男らしい」「男らしくない」で判断していましたね。「男らしいおれになるぜ」と。「男らしいおれ」っていうのは、例えば「スポーツ刈り」でした(笑)。後は、何があったかな。体を鍛えるということで自転車に乗りまくった。「とにかく一秒でも早く」ということだけを考えて。当時のスポーツ用品のCMに「肉体がエンジンだ」というキャッチコピーがありましたが、もっと過激に「おれはここだぜ ひと足お先」「光の速さで明日へ ダッシュだ」。これは実は、『宇宙刑事ギャバン』という番組の主題歌なんですが、「胸のエンジンに火をつけろ」とか、本当にそういう世界に突入しました。
 この『ギャバン』の歌はいろんな意味で象徴的なんですが、「男なんだろ ぐずぐずするなよ」っていう歌い出しなんです。モロにハマってますね。変身ポーズまで覚えましたからね。(笑)
 このように、今となってはいろいろ欠けが多い状態だと言うしかないんですが、なんとかジェンダー=アイデンティティの強化によって、普通の人になろうとした。「普通の人になる」というのは、つまり「一般的な消費体系の価値観に戻る」っていうことですね。一般的な価値観に戻るということは、例えば斜視は格好悪いとか、ホモは気持ち悪いとかいうところに戻るということでもあります。差別者に戻る。それがつまり自分にとっては「回復」だった、回復の初期のプロセスだった。
 ということを、今の時間枠のくくりにしたいと思います。皆さんちょっとお疲れだと思うんで、ここらへんでちょっとブレイクをいれたいと思います。えー、ブレイクだからってブレイコーはいけません(笑)。

(司会)というくだらないギャグをいれた所で(笑)、五分ほど賛美歌533番「どんなときでも」の練習をしたいと思います。

讃美歌 533番
【どんなときでも】

 どんなときでも どんなときでも
 苦しみに負けず くじけてはならない
 イエスさまの イエスさまの
 愛をしんじて

 どんなときでも どんなときでも
 しあわせをのぞみ くじけてはならない
 イエスさまの イエスさまの
 愛があるから

詞:高橋順子(1959−1967)
曲:高浪晋一(1941−)


「気持ち悪いこと」

 今回は、「気持ち悪いこと」を敢えてやってみようと、思ってるんです。「気持ち悪いこと」というのは何か、と言うと、T協会の中では、さんざん「泣かせる話の後で泣かせる歌をみんな歌う」ってことをよくやっていた。「場の心理的な一貫性」を醸し出すために。実は、キリスト教の礼拝というのは元々そういうところを持っていまして、みんなでひとつの歌を歌うとか、みんなでひとつの信仰告白をするとか、誰かのお祈りにみんなでアーメン(そのとおり)!と言って同意するとか、そういう場の強制力というものを多用する礼拝の様式を持っています。T協会のことを思い出させるので「気持ち悪い」んですけども、今回はその「気持ち悪いこと」を、敢えて自分への挑戦としてやってみようと思っています。単に気持ち悪さを醸し出すためにやるのではなく(笑)。


『シビビーン・ラプソディ』

 入門記でも山本正之さんという人の歌を紹介しておきました。『シビビーン・ラプソディ』と言う歌ですね。こんな歌です。

 裏の畑にビルが建つ
 ひょんなことでも腹が立つ
 空も真ん中に虹が立つ
 恐れ入りやの鬼子母ブタ

 課長部長えらい
 社長会長えらい
 えらきゃ黒でも白になる
 タイムレコーダー
 ガッチャンガッチャン押せば
 フニャーとめげてる場合じゃない

 シビビーンとシビビーンと行くしかない
 シビビーンとシビビーンとやるしかない
 シビビーン・ラプソディー

 なぜかこれが、バイトするときに甦って来たんですよ。何でなのかわかりません。元々これはアニメのエンディングテーマだったんですが、山本さんという人は「どこかで聞いたような懐かしいメロディ」を使うんです。だから甦ってくるのかもしれません。毎日タイムレコーダーをがしゃんと押して、いかに三十分でも多く稼ぐかなんてことに集中する生活をしてるときに、ふっと「タイムレコーダー ガッチャンガッチャン押せば」という歌が、ばっと甦ってくるんです。で「めげてる場合ではないんだ」と言う感じで支えられていた。


誰かを支える歌

 昨日の堀江さんの話で「誰かの勇気に支えられた自分がいる。その勇気を誰かに、その人本人じゃなくても、誰かに返していきたい」と語られました。私の場合、それが山本さんの歌だったなあ、と思うのです。「自分を支えてくれた歌」があって、そして「誰かを支える歌」というものを発信できたらいいな、という願いがあります。
 今までお話ししてきた回復のプロセスの中で、私自身いろんな歌に支えられてきたという思いがあるんです。こういう集会で、皆で歌を歌うということ自体が、わたしにとっては「気持ち悪いこと」ではあるのですが、「気持ち悪い」というところに留まるだけではなくて、誰かを支えるために発信する歌を皆で歌う、ということに踏み出していけないか、と考えているのです。
 今日、一緒に歌ってみようと思っている歌が幾つかありますが、それはこういう気持ちで用意させていただきました。


神学校に行く

 さて、今回の夏期ゼミのテーマは「出会い」ですので、話をこのテーマに沿ったものにして行きます。
 私は、何とかこの世界に帰って来ることができた。しょっちゅう自殺を考えていましたんで(これが三つ目の生命の危機ですね)、自分が自分に殺されるかもしれない、という恐怖に直面していた。何とか平安を取り戻したい、と願う成り行きで、今度は神学校に行くことになりました。あんまり牧師になるなんてことはマジメに考えてなくて、どっちかというと「聖書の勉強だけしたい」と思っていたんです。しかし、神学校に行く直前、『入門記』冒頭に書きましたけども、脱会者を教会から排除するという事件が起きた。「竹迫君は、T協会脱退者として、じゃなくて、クリスチャンとして残って良かったね」という言い方にものすごいショックを感じまして、「そうじゃない教会が必要だ」という思いを持って、東北学院がある仙台で新生活を始めることになったんです。一昨年、この夏期ゼミに講師として来られた浅見定雄さんは、そこの先生です。


学生YMCAとの出会い

 そこでもいろんな出会いがありました。「生涯の友」と呼ぶに値する出会いもいくつかありました。T協会を辞めることで、わたしは友達関係のほとんどを失っていたわけで、大変貴重な出会いでした。三年ほど仙台で生活しておりましたけども、その間に学生YMCAとの出会いがあったんです。東北地区学生基督者連盟、North East Student Christian Federation、略してNSCF。ところで、何で横文字なんでしょうね・・・。
 仙台に行くにあたって、師匠の牧師(「キューピーちゃん」ですね)が、学生の時行ってたという教会を紹介されて通い始めたのですが、それが仙台北三丁教会っていう所です。そこに、佐藤真希という女の子がいたんです。紹介されて「あ、佐藤真希さんですか」ってすれ違っただけで、まさかこういう付き合いになるとは思ってなかったんですけど(笑)、彼女がいろいろな活動をしてたんですね。彼女の活動範囲のひとつが、このNSCFだったのです。
 私は、まず教会の「青年会」ってのを何とかしなきゃだめだと、思っていたんです。教会の青年会というのは要するに、若い人を教会青年として育てる場所なんですね。「こんな所にいると、ふぬけたヤツになってしまう。そんな青年会ではダメだ」なんてことを、青年会ではしょっちゅう言ってました。アンチテーゼばっかり。もちろん、根拠は全部自分のカルト体験です。「カルトではこうだったぞ。おまえら同じじゃねえのか」ってことをずっと言い続けてて、大変きらわれていたんです。そこに、佐藤真希がいた。話を聞くと、彼女はNSCFってとこにも行ってるらしい。クリスチャンじゃないヤツばっかりなのに、自発的に聖書を読んでいるらしい。
 大変な危機感を感じました。「それはカルトに違いない」(笑)。これはぶっこわさねばならん、と思いまして、わたしもNSCFに参加しました。「何でカルトに金を払わなきゃいかんのだ」と思いながら、金を払って。


NSCFへ参加

 実は誰かに誘導されているのじゃないのか、とか思って、いろんなことを聞くんですが、本当に自発的に聖書を読んでいるんですね。「うそぉ」と思いました。
 確かに「誘導されている」という側面もあるんです。例えば、当時(いや、今でもそうですけど)NSCFの中核になってるのが、渓水寮という寮のメンバーなんですね。寮では伝統的に、聖書のことを知っていようが知ってまいが、聖研や「朝の礼拝」をやることになっていて、何となく強制的に聖書を読まされるっていう環境なんですね。だから「誘導されてる」って言えば言えるんですが、しかしながら「読み方の誘導」っていうのは、見事に何もない。「これ、どう読んだらいいんだろう」なんて、方法論で揉めてたりする。見ててだんだん情けなくなって、「おまえら、これはこう読むんだ」なんて教えてやったりして(笑)。アンチカルトのはずなのに、自分が教祖になってしまった(笑)。
 NSCFは私にとって、聖書の「教会や青年会では歓迎されないような読み方」をする実験場になりました。そこでもアンチテーゼばっかりやってたんですが、そのアンチテーゼが不思議に嫌われない世界がNSだったんですね。教会では嫌がられるんですよ、アンチテーゼって。しかしNSの場合は、むしろアンチテーゼの方に「浮動票」がわーっと集まってきたりするところがある。「なにこれ」ってびっくりしました。つまり「これは絶対カルトだ」と思ってたけど、そうじゃなかった。「カルト以前」だった(笑)。プレ・カルト集団です。こんなにぼーっとしてる連中は、絶対どっかのカルトに取られるって思いました。とにかくこの団体を何とかしなければ、と思いまして、そこから関わるようになりました。
 NSとの関わりを通じて、私が無意識のうちに模索していた聖書の読み方が何だったのか、ということが、だんだん見えてきました。つまり「自分を解放してくれる御言葉との出会い」なんてことを求めてたんだな、ということが、NSで一緒に聖書を読む作業の中で、だんだん言葉としてまとまってきた。途中で面白くなくなって来て、そのうちNSには行かなくなっちゃったんですけど。


学Y協力主事になる

 ところが、その後「あまり人が集まらないから、NSは解散しよう」という話になったらしいんですね。しかしNSは同盟に所属している団体ですから、解散するにも連絡役が必要だということで、協力主事を置こう、という動きになってきた。誰が言い出したのかは分かりませんでしたが、「竹迫に依頼しよう」ということになったらしい。
 私はその頃、バイトをやめて「夏期伝道実習」という教会の実習に出かけたんですが、帰ってきたらみごとにお金がない。貯金がちょっとあったはずなんですが、家賃やら電気代やらの引き落としを忘れてたんですね。「明日から生活費どうしよう」という状態の私のところに、「協力主事を月6万でやらないか」って話が来た。反射的に「やる」と答えました(笑)。「なんと仮払金が2万円も出る」ってことで(笑)。
 その2万円もらえる日まで、後1週間かかる。ところが、手元には200円しかない。当時吸っていたタバコが200円でしたから、そのまま200円でタバコを買っちゃいました(笑)。これには色々計算がありまして、タバコを一本くわえて後輩のところに行く。後輩の部屋に入って、そこで火を付けるんですね。で、話をしながら、やがて吸い終わって、もう1本煙草を吸おうという仕草をして、「あれっ? 落としちゃったかな?」と(笑)。そうやってタバコをたかる(笑)。いろいろテクを駆使して、とにかくズルズルと居座っていると、だんだん腹が減ってくる。「腹減ったな。飯食いに行くか」と立ち上がった所で、「あっ、財布忘れて来ちゃったよ」って。これで1週間しのぎました(笑)。
 後輩の間を渡り歩いてたんですが、後輩同士のネットワークがあったらしいんですね。「竹迫が来ると、飯を食わせないかんぞ」という情報が行き交ってたらしい。そうやって準備をしていてくれたということを最近知りまして、随分お世話になりました。


学Y東北地区の立て直し

 そういう経緯で、NSをやめようって話になっていた東北の学Yに戻ってきました。「自分たちの集団を自分たちで解体できる」というのは、自由のひとつの姿ではありますが、わたしはそれまでの関わりから、思い入れなんかもあって、やめるのはもったいないという気持ちの方が強かったんです。そこで、何とか東北の学Yを立て直したい、つまりNSCFという共同体を回復したい、と思い始めた。
 と言うのは、当時渓水寮が別の場所に移転をしまして、移転に伴うゴタゴタで、かなりの学生たちが寮を出ちゃったんです。残った連中がボロボロになりながら、かつての寮の財産を整理している。「NSかぁ、これもしんどいからやめようや」っていう雰囲気の中でのお話だったんです。「共同体性を取り戻してあげたい」という気持ちが非常に強くて、特に「聖書を読む共同体になってほしい」という願いがありまして、「月6万円もらえるし」ってのは、あくまでも副次効果だと思いますけども(笑)。半年間だけ協力主事をやったところで牧師招聘の話が来て、浪岡に行っちゃったんですが、浪岡から仙台の間を往復するという、なんかむちゃくちゃな生活に入りました。2年半ほど。わたしは、NSの再興という仕事を通じて、学Yと出会ってきたんです。


浪岡生活のはじまり

 浪岡伝道所から招聘の話があった時まで話を戻します。さっき言った伝道実習に行って、「牧師のいない教会が二つばかりあるんで、ちょっと代理で説教行ってくれや」って言われて、それが浪岡伝道所と八甲田伝道所だったんですね。特に浪岡伝道所では地区青年会の合宿が行われていて、「また青年会かよ」とは思いましたけど(笑)、バーベキューやってビールを飲んで、非常に気持ちよくなって、「浪岡伝道所ってのはきれいな教会ですね。赴任するならこういう教会がいいですね」、と言ったんですね。ちょうどその時が、浪岡に専任牧師を呼ぼうっていうお祈りを捧げている最中でして(笑)。もう、運命的としかいいようがないですね。


結婚

 その後、実際に赴任する話になった時、ひとりの教会員から「相手がいるんだったら結婚してから来てください」と言われたんです。たぶん「津軽は雪が深いから、ひとりだと行き詰まりますよ」という思いやりの言葉だったんですが、わたしはてっきり「結婚しないと招聘されないんだ」と思いこみまして、当時つきあいがありました佐藤真希に電話をかけたんです。けど、不在だったので、「こういうことだから結婚しようや」というメッセージを留守電に吹き込んだ(笑)。その後2週間くらいで話をまとめたんですが、現竹佐古真希に言わせれば「当時は何が起こっているかよくわかってなかった」そうです。「あれっ結婚するんだったっけ」って(笑)。お互いに準備で徹夜状態で、ハイになったまんま結婚式に突入。ところが浪岡に来て、その「結婚してから来てください」って言った人が「ほんとに結婚したんですか」って(爆笑)。


浪岡伝道所

 この浪岡伝道所ってのも、いわばその地域の諸教会のお荷物的な教会だったんですね。1950年の設立ですが、石岡兵三というクリスチャンのお医者さんがいらっしゃいまして、この人が大部分のお金を献金して会堂を建てたりしてるんですね。そういう非常に依存的な教会形成をしてたので、その人が亡くなった後、活動の担い手が誰もいない。この石岡さん、聞けば聞くほど非常にお人好しな方で、最後はお金がすってんてんになって亡くなったんだそうですけれども、人が好すぎて「たかられた」という感じではないのかなという感じがしないでもありません。
 お金がないもんですから、安く使える若い牧師が投入されて、2〜3年頑張ったところでやめていく、ということが繰り返されてきた教会です。なぜまたそこに専任の牧師を置こうなんて考えるに到ったのか、不透明で未だにわからないんですけど、たまたまそこに私が行ったんです。「竹迫ならやれる」なんてリサーチがあったわけでもありません。「とりあえずひとり向こう見ずなヤツがいるから、来てもらおうや」ってことだったようです。浪岡伝道所への援助をダシにして地区諸教会の連帯を深めよう、という計画があったようです。金だけ渡しといて(まぁ、口も出すわけですが)、しかもその金も絶対的に足りないという状況で、専任牧師を招聘するということだった。そういうことが、後から(「後から」っていうのがミソです)だんだんわかってきて、「なんだよこれ」っていう思いが非常に強かった。


精神分裂病者との出会い

 この教会に当時通っていた(いまも通っている)、精神分裂症という病気を患っている女性がいまして、薬を飲んでいてぼーっとしている状態だったんです。クリスチャンなんですが、別の教団の教派で洗礼を受けた人で、浪岡伝道所には客員としてきてたんですね。わたしが「浪岡伝道所の担い手になってください。ぜひ転籍してください」とお願いしたら、なんか燃え上がったんですね、彼女は。転籍して、浪岡伝道所の会員になってくれました。その女性を中心にして、精神分裂症を患う人たちとの出会いが起こったのです。いまは、この病気を持っている人たちが、現在浪岡伝道所の礼拝出席者の大半です。って言っても、3人4人の礼拝なんですけど。そういう人たちと礼拝を持つようになりました。
 わたしは、分裂症については教会に行くまでは全く知らないも同然の状態でした。しかし、彼ら・彼女らとの付き合いを通じて、今では「カルト脱会直後の自分の姿とほぼ一緒だな」と感じています。「常識感覚」が崩壊しているという点で。常識といっても「一般に良く知られている知識の事」ではありません。常識のことを英語でコモン・センスといいますが、直訳すれば「共通の感覚」ですね。知識ではなくて「感覚」。それが失われる病気。わたしがT協会脱会直後に体験した「世界観の喪失」と似ています。それを、何とか薬でこの世につなぎ止めながら、ようやく生活してる人たちなんだ、ということを知った。そのとき、自分が受けてきた苦しみの意味を、強烈に示されたように思ったのです。
 「おれは何でカルトに入って脱会をして、こんなぐちゃぐちゃした思いで生きなければならないのか。しかも、なるつもりもないのに牧師になってしまって、するつもりでなかった結婚までしちゃって」と。それらの意味が浪岡伝道所における「出会い」を通じて示されたように思ったんですね。このために自分は生まれてきたのか、このためにおれは生きてきたのか、というくらい、強烈な出会いでした。
 わたしはそれまで「カルト脱会者でもこの世に生きていいんだ」っていう趣旨の説教を語ることが多かったんですが、分裂症の人たちと付き合っていく中で、カルト脱会者や分裂症者「でも」生きていっていいんだ、ではなくて、カルト脱会者や分裂症者「だからこそ」生きてゆくべきだ、という福音理解の方向性を示されたわけですね。このことは、後でもうちょっと詳しくお話しします。


堀江有里さんとの出会い

 ここで、わたしにとっての「堀江有里さんとの出会い」のお話をします。浪岡伝道所の牧師と学Y協力主事の二足のワラジ生活(実際には、他に「八甲田伝道所の牧師」と「東奥義塾高校の非常勤講師」も合わせて四足でしたが)を経て、96年の夏に行なわれたNSCFの「夏の集会」に参加しました。ここでわたしは、「ジェンダー」という概念と初めて出会いました。
 今思えば、自分というものを再構築する手がかりをジェンダー=アイデンティティに依存していたわたしにとって、ジェンダーという概念を学ぶことは「鬼門」だったのです。実はこの時、間の悪いことに「脱会後遺症」とも言うべき症状が非常に劇的に現れていました。この年は、わたしがT協会を脱会して丁度10年目に当たっており、「もう10年も経つのだから、いいかげんに卒業しなければ」ということを意識してしまって、かえって苦しい症状を招いてしまっていました。殆ど眠れない日々を過ごしていたのです。
 NSの集会に参加するにあたり、最初は「要するに、女性差別の問題だ」と思い込んでいて、発題者としての役目を引き受け、レポートをまとめるために講師の先生からお借りした参考図書を何冊か読んでいました。しかし、事柄は「女性差別」なんて生易しい問題ではなかった。まさしく、その頃の自分が全面的に寄りかかっていた「ジェンダー」を問い直すものであったわけです。


『男でもなく 女でもなく』

 とりわけ強烈な印象を与えたのが、蔦森 樹(つたもり たつる)という人の『男でもなく 女でもなく』という本でした。この人は、元々は「男らしさ」を追及していた人で、ヒゲを生やして大型バイクを乗り回していました。ある時、ふと思い立ってヒゲをそり落としてみた所、鏡に映る自分の顔が全く美しくないという事実に気付いて愕然とするのです。そこで、美しくなりたいと考えて、美しさを追及し始める。すると「女装」になってしまうんですね。「美」というものが、女性に対して要求される価値基準にされているからです。女性の格好をしたら、美しい自分になれたような気がした。そこで大喜びして、その写真を恋人に見せるのですが、相手の女性には「変態」としか見てもらえず、急速に二人の仲が冷えてしまって、別れてしまった。その辺りから、この社会は「男」「女」という、生物学的に根拠を持たない色分けがされていることに気付き始める。たとえば歯ブラシというもの。スーパーで売られているこの商品は、別に「男用」「女用」という区別は必要ないもののはずですが、現実には「青いものが男用、赤いものが女用」という形で消費されている。そんな風に、実に些細なところから男女の区別が行なわれており、それが人々に徹底されてしまっていることに気づく。
 最終的には、男でも女でもない、外見的には男か女か判然としない外貌を手に入れて、性差(あるいは性差別)というものを問い直し、また問い直されるという生活に入った所で、この本は終わります。
 本当に強烈でした。それまで「男らしさ」の追及が自我を支える根拠だった私にとっては、もう「世界の終わり」に等しいショックでした。かなり自覚的に「新しい自分」を作ってきたつもりになっていた私は、その根拠に疑義がある、という発見をしてしまったのです。脱会後遺症と正面からぶつかる、というまったくのバッド=タイミング。再び「自分とは何者なのか」という問い直しの必要に迫られたのでした。


クイア

 その次の年の夏期ゼミで、浅見定雄先生と堀江有里さんが呼ばれて、お話をされたわけです。私はその夏期ゼミには出席しなかったのですが、カルト問題に比較的詳しいからということで、竹佐古真希と長倉くんと一緒に、浅見先生の講演のテープ起こしを手伝いました。だから、夏期ゼミ報告号の『きざし』が出来上がったときも、浅見先生の講演と、私自身が書いた「Hさんへの手紙」という原稿しか読んでいなかったのですが、ある時なにかのきっかけで堀江さんの文章を読んだのです。目にとまったのは、「クイア」という言葉でした。堀江さん自身の解説によると、元来は同性愛者たちを揶揄する言葉であった「クイア」という用語を、現在では同性愛者たち自身が誇りをもって自分を表現する言葉として使っている、ということでした。


スティーヴ=ビーコー

 『遠い夜明け』という映画があります。南アフリカ共和国における黒人差別との闘いを描いたものですが、その中で「Black is Beautiful !」という言い方が出てきます。黒人差別というのは、差別される黒人の側にも大きな問題がある。「自分は黒いからダメなんだ」と、自分で自分を貶める価値観にとらわれているからだ。黒いことはダメなのではない。むしろ、黒いからこそ美しいんだ。劇中のスティーヴ=ビーコーという黒人指導者がそのように語ります。
 わたしはこの映画が大好きです。なぜかと言えば、T協会の脱会者であることを恥じる価値観と闘っていたからです。T協会なんかに入ってしまってダメなヤツだ、という価値観が自分の中にある。しかしそうではなくて、「脱会者」だからこそ素晴らしいんだ! こういう考え方を始めたのが、この『遠い夜明け』を観てからのことだったのです。「カルト脱会者や分裂症者でも生きていていいんだ」ではなくて、「カルト脱会者や分裂症者だからこそ生きてゆくべきだ」という福音理解の方向性のルーツが、この映画にあるのです。


カルト=サバイバー

 ある時、親から性的虐待を受けて育った人々を援助するグループの雑誌記事を読んでいて、当事者たちを指す言葉として「サバイバー」という用語が使われているのを見かけました。死んでしまってもおかしくない状況を生き抜いてきた人、という意味が込められているのだと思います。それだけでなく、そのような悲劇を生むことのない新しい世界を切り拓く人、という期待も込められているように感じています。以来、わたしはカルト脱会者のことを「カルト=サバイバー」と呼んだりしています。
 堀江さんが紹介してくださった「クイア」という言葉に、わたしは同じ精神を見ました。同性愛者という人々を恐れて差別するばかりだったわたしですが、この用語をきっかけに、同性愛者たちの闘いと、わたしや他のカルト脱会者たちが担っている闘いとの間に、共通点を見つけるようになりました。
 ジェンダーという概念の学び以来、再び「自我の揺らぎ」という苦しい状態を経験していたわたしは、逆にジェンダー=スタディというものに正面から向き合うようになりました。そのひとつが「髪を伸ばす」という形で現れました。なにしろ「男らしさ」の象徴がスポーツ刈りでしたから。


学Yメーリングリストでのできごと

 その直後に、学生YMCAのメーリングリストにおいて「同性愛者排除」の発言が投稿されました。「もし、大学の教授が同性愛者だったりしたら、わたしはその人の講義は受講しようとは思わない」という主旨でした。既に堀江さんの『きざし』用の文章も投稿されていた後だったし、堀江さんの他にももうひとりカミングアウトした同性愛者がこのメーリングリストに参加した直後のことです。
 激怒しました。言いようのない悲しみに襲われました。教会から脱会者が排除された事件をまざまざと思い起こしました。非常にカゲキな文章を書いて投稿しました。これは、竹佐古真希を始めとしていろいろな人々から批判されましたが、わたしは後悔していません。今でも「排除される人々と同じ痛みを味わってもらうことが必要だった」と考えています。この人物の発言の是非のほかに、わたしのメールの表現は妥当だったか、など幾つかの議論が錯綜した混乱状況がしばらく続きました。後に、その投稿を行なった人物と個人メールのやり取りで話し合いました。最終的には、わたしが紹介した『同性愛の基礎知識』という本を読んでもらったところ、何が問題なのか、ということを理解して頂けたようですが、この人物からは「これほどまでに差別が行き渡っている状況では、解放の見通しは暗いのではないか」というメールをもらったっきり、音信不通になってしまいました。「見通しが暗いからこそ闘うんだ」という主旨のメールを送ったのですが、返事はありません。


堀江有里さんとの対話

 この論争に前後して、堀江さん自身とメールのやりとりが始まりました。実に色んな事を話し合ったんですが、1年くらい続いたでしょうか。実は、実物の堀江さんと対面したのは今回の夏期ゼミが初めてなんですが、初めてのような気が全くしません。ずーっと堀江さんとメールでの対話を通じて、ジェンダーという考え方を経た「自分の再構築」、つまりカルトサバイバーとしての自分の再構築を、堀江有里さんとの対話を通じてやってきた。
 今回はほんと、お招きいただいて、感無量です。その堀江さんと一緒にリソース・パーソンをやれる。わたしが「この時間を堀江さんへの奉仕の時間にする」と言ったのは、そういう気持ちの結果なのです。


浪岡のネットワーク

 その後、たとえば横山由利亜という人が「浪岡伝道所の信徒になりたい」なんてことを言い始めた。「あなた、東京の人でしょ」と思って、最初はお断りしようと思ったのですが、多分これは日本初の試みだと思います。ひょっとすると世界初かな? 電子メールによる教会形成「通信信徒」という発想が生まれた。これ、運営がなかなかうまく機能しなくて困ったな、と思ってる部分もあるんですが。
 他にも、青森県の浪岡町っていう、交通事情の悪い雪も深い所(この冬は特に雪が多くて2Mくらい積もっちゃったんですけど)、そういう地域でありながら、しかしそこに学Yの人たちを中心に色々な人々が集まってくるようになった。この人たちは教会員でもなければ、クリスチャンでもない人たちも多いんだけども、なんか浪岡のことを心の片隅に留めておいてくれている。何かあったら浪岡に来てくれる。そういう緩やかなネットワークが作られていくところに、ひとつの教会の可能性みたいなのを見ています。
 そういう流れから、横山さんの発案で『キリスト教入門記』を書いてくれ、というお話が来て、いま苦しみぬいているわけですね(笑)。


学Yとカルトの違い

 さて、こうした「出会い」の体験を重ねる中で絶えず考え続けて来たのは、これらの出会いとカルトでの出会いとは、何が違うのか、ということです。学Yのことで言えば「学Yとカルトは何が違うのか」ということです。
 みなさんの各単位Yでの課題にしていただきたいと思うことですが、学Yに人を誘おうとする時、宗教っていうものをネガティヴにとらえる前提に立って「聖書を使いますけど、宗教とは関係ありませんよ」っていう消極的な態度をとることが多いと思うんです。わたしは、これはその通りだと言えば言えるし、しかし「看板に偽りあり」とも言えば言える。情報コントロールではないか、と思ったりして。そういう点に注目すると、カルトのマインド・コントロールを批判する時、学Yもその批判から逃れることができなくなっていく気がします。「カルトとわたしたちとは、こういう違いがあります」ということを明確に言葉で言えるようになる必要が出てくる。
 実は、マインド・コントロールのことが世間の話題として盛り上がったときに、『心を操る男たち』という本が出版されまして、これはYMCAがいかに精神誘導的技法を使ってきたかという、一種の暴露本なんです(ある時、出張先の書店でそれを発見しまして、お金がなかったのでパラパラと立ち読みしてそれっきりになっちゃって、持ってる方がいたら貸していただければと思うんですが)。これはある程度事実を言い当てているのではないかと、学Yだけではないですけど、YMCAのある種の集会を覗く中で、多少感じてたことなんですね。それはそれで、使い方によっては効果的なんですが、「心を操る」といわれたら確かにその通りです。しかしカルトではない、悪意ある破壊的なマインド・コントロールではない、と言明できるような準備は、今からしておく必要があるだろうと思います。スーパーバイザーとして、いつでも相談に乗りますから、考えていただければと思います。「マインド・コントロールは単なる方法論に過ぎず、何のためにそれを用いるのかが大事なのだ」というところまで視野を広げたときに、初めて再評価できるということもあると思うんですが、その辺はちょっと細かい話になりますんで、別の機会にします。
 ただ、「出会い」ということについての考え方は、参考にしていただけるお話ができるのではないか、と考えています。


学Yの出会いとカルトの出会い

 一昨日から「竹迫組」(竹迫注:夜の自主プログラム。有志が集まって語り合った集団)で、「カルトと学Yの違いってなんだ?」というディスカッションをしてもらったんですけど、それを聞きながら、学Yの中で起こっている「出会い」とカルトにおける「出会い」とを比較した時、両者は事件としては全く変わらないんだな、と思いました。
 たとえば、『入門記』に書いた卓球の事件。私は片目が見えないのが大きなコンプレックスで、卓球に誘われて「球技はできない」と断ったんですが、その誘ったT協会員はメガネの間にティッシュペーパーを押し込んで、「これでフィフティ・フィフティだから、やろう」って言ってくれた。あれは、わたしの原体験です。人のやさしさの発見、そういうやさしさが自分の今までの生活にはどこにもなかった、自分自身にもなかった、という気づき。そういう出会いがあってカルトにずっと深入りをして行った。
 でもそれは、ディスカッションを聞いている限りは、学Yの中でもやっぱり起こってることです。「カルトだからそういうことが起こるんだ」と言うことではない。カルトと学Yというのは、「出会い」という事件に関して断片的な風景だけを取り上げる限りは、全然変わらないんですね。
 ところが、おそらく学Yのみなさんはサリンを撒いたりはしないでしょうし、いくら運営費が苦しいからって、ハンカチを売ったりはしないだろう。ハンカチ売りぐらいやってもいいんじゃないかと時々思うんですけど(笑)、やらないだろう。同じような「出会い」の体験の積み重ねているはずなのに、何で結論がそんなに違ってしまうんだろうか、というところに着目をすると、「出会い」というものが目指す方向、あるいは「出会い」というものがもたらす結果に分かれ道があるのではないか。


出会いのもたらす結果

 カルトは、人間の変化を意図的に引き起こします。「変化が起こらない関係はウソだ」という前提を持ってアプローチをしてくる。この場合の変化ってのは、もちろん予め決められたとおりの変化のモデルがあるんです。そのカルトのメンバーになる、とか、商品を買う、とか。そこに辿り着かせるために誘導していくのがカルトにおける「教育」なんですね。「出会い」がもたらす結論が予め決められている。
 学Yの場合は明確に違いますね。これは以前に長倉くんが言ってたことですが「自由度と創造力を増幅する」、これが学Yにおける教育の定義になっていると思います。つまり学Yの場合、成長すればするほどどういう転がり方をするかわからなくなる。不確定要素を抱え込んでゆく。だから、次に何をするか、育てれば育てるほどわからなくなるんですね。これはカルトにおける教育と、学Yにおける教育の根元的な違いだなと思います。


自己の相対化・対象化

 私自身の「出会い」の体験を振り返ると、出会った人たちを通じて、私は自分の姿を対象化して、相対化して見始めるきっかけになっていた。自分はいまだに苦しみの中にぐちゃぐちゃと浸かっていますが、一歩引いて外からその苦しみを眺めるという視点を、そういう「出会い」を通じて与えられてきた、と思っています。「出会い」という出来事には、自分を相対化したり対象化したりする効果がある。出会いを通じて、私自身が変化させられている。逆に言えば、そういうことが起こらない出会いは「出会い」とは言えないのではないか。自分を相対化する、自分を対象化するのが「出会い」なのだから。
 カルトの内部において起こっている出会いってのは、その意味では「出会い」じゃないんですね。なぜか。カルトのメンバーは、その出会いによって変化しないからです。相手だけを変化させるために、いろいろ計算をして誘導をして行くわけですね。そうやって、予め決まっている変化を意図的に引き起こすんです。これは、さっきの意味での「出会い」ではない。つまり、自分を相対化する視点として、他者と出会っていない。他人が自分の心の中に居場所を作るということになってないんですよね。
 「出会い」ということをちょっと強引にまとめてみましたが、自分を相対化したり、対象化したりするのが、やはり出会いなんだ、そういう出会いが起こるから、学Yはいいんだ、というふうに思っています。こんなところでいったんブレイク。

(司会)ありがとうございました・・・。


竹迫式健康体操

 皆さん、同じ姿勢でずっと話を聞くばかりで、そろそろお疲れじゃないでしょうか。少し気分転換のために、体操してみますか。ちょっと立って下さい。(竹迫注:読みながら、実際にやってみて下さい!)
 片足で立ってみて下さい。浮かせた足の足首を、反対側の足の膝につけて下さい。つまり、「四の字がため」みたいに。この状態で、どれくらい立っていられるか。けっこうつらいですね。更につらくします。首をグラグラさせる(会場笑)。これを効果的にするために、右手を上に垂直に挙げて、左手を横隔膜のあたりで水平にするんです(会場笑)。更に、腰を回転させる動きをミックスして下さい(一同ざわめき、笑う)。難しいですね。
 このポーズは、見た目は変なんですけど、内臓全般を活性化させる効果があるんです。必然的に、眠気も醒める、というわけですね。

   

 …って、信じたのか? これ全部、たった今思いついたことですよ。(一同爆笑)
 これはマインドコントロールということを理解するのに、大変効果的なセッションなんです。われわれ人間は「権威」にどれだけ弱いか、ということを自覚するための実験です。「これまで一生懸命話を聞いてきた人が、まさか自分をだまはずがない」と思っちゃっているんですね。なんとなくそれっぽいことを言われると「ああそうなのか」って抵抗なく信じちゃう。「行動コントロール」も含んでみました。「みなさん、これをやってみましょう」ってな感じで。体を動かすと、聞いているだけの状態よりも、特定の価値体系を受け入れやすくなる、という効果があります。


権威に関する心理学実験

 有名な実験を紹介します。なんらかの質問をして、正解を答えられないと電流を流す、という実験。椅子に縛り付けられた人がいて、質問をする人がいます。その質問をする人は、椅子に縛り付けられた人が間違った答えを言うと、機械のボタンを押す。電流が流れて、間違った人が痺れる。
 実は、これは「やらせ」でありまして、本当は電流なんか流れてないんです。予め打ち合わせておいて、ボタンを押したら、いかにも電流が流れているかのように演技をさせているだけなのです。人道上、そんな危ない実験はできませんから。
 こういう舞台設定をしておいて、そのからくりを知らない「見学者」に見せます。「これは心理学の実験です」と説明する。ボタンを押して電流を流す(フリをする)。「ああっ」と悲鳴が上がって、いかにもしびれているように見える。
 「ちょっと実験を手伝ってください」とか言って、「見学者」に電流のボタンを押させる。繰り返して言いますが、この「見学者」は、本当は電流なんか流れていない、ということは知らない。ボタンを押すと電流が流れて苦痛を与える、と思い込まされている。「質問に答えられなかった場合、不正解だった場合は、そのボタンを押してくださいね」と役割を与えるわけです。打ち合わせでは、答えをわざと間違うことにしてあります。何度も間違った答えを言う。そこで「電流を流してください」と指示されて、「見学者」は言われた通りに、ボタンをカチッと押してしまう。電流を流されたフリをする人は、「ぎゃああっ」と悲鳴を上げる演技をする。
 そして「学習効果を高めるためです」と説明されて、「見学者」は電圧を上げていくよう指示されます。電圧を操作するスイッチには、電圧を表す目盛りだけでなく、「人体には危険」「人体には有害」「死に至る場合もある」という注意書きも書かれている。「見学者」はそれを読んでいるんです。通常の状態であれば、人が死ぬかもしれない危険な電流を流すスイッチは、押すことをためらうものです。しかし、こういう状態に置かれると、「電圧を上げてください」と指示されるままに、カチッカチッとダイヤルをひねってしまう。演技をする人が「もうやめてくれ」「もう死ぬ」「うぎゃ〜っ」とか叫んでいるのを聞いているのに、だけどみんなボタンを押し続けるんだそうです。「だって先生がやれって言ったじゃない」という理由だけで。
 権威を持ってアプローチされると、われわれ人間は簡単にボタンを押せるようになるんですね。そういう人間の性質を明らかにする実験であるわけです。皆さんも、危険ですよ。こういう誘導を受けた時に、何でそんなことをしなくちゃいけないのかという視点をどっかに残しておかないと、簡単に引っ張られます。少なくとも皆さんはたった今、私の指示どおりに不思議なポーズをやってしまいましたね(笑)。


出会いとは何か

 さて、これまで「竹迫が体験した出会い」ということをお話ししてきたわけですが、今度は「出会い」というテーマを、より掘り下げて考えてみます。「出会い」とは何か。(夏期ゼミナールのテーマの)サブタイトルに沿って言えば、「あなたを受けとめる」ということであり「私を伝える」ということである。その「受けとめる」って、どう言うこと? 「あなた」って誰? 「伝える」って、どう言うこと? 「わたし」って誰? とういうような問いを絶えず重ねて行かなければ、こんなのは単純にマインドコントロールのためのスローガンに使われてしまうでしょう。
 「おまえは本当に出会ってるのか!」という風に激しく追求されたら、びくっとしてしまう自分がいる。「出会ってなんかないだろう!」という形で、サクラを交えて周りから追求されたら、「すいません。私は出会っていませんでした」と罪の告白をしてしまうでしょう。そうして、用意された「出会い」の仕掛けを通じて、カルトのメンバーにさせられてしまう。こういう話を予め聞いていても、そういう状況に放り込まれると誰でもそうなってしまう。


「何寝てんだ、おい!」

 よく高校の授業でやるんです。だいたい、ひとクラス2〜3人は居眠りしてるんですよ。で、「マインドコントロールの話の関連で、ちょっと今から実験するからな」って言って、笑いながら寝てるヤツの所に近づいて行く。いきなり机を蹴飛ばして「なに寝てんだ、おい! おまえ何のためにここにいるんだ! そんなやつが生きてていいのか!」なんて怒鳴ってみせる。寝ているところをいきなり怒鳴られたら、その本人は強烈なショックを受けます。つい訳も分からず「すいません。すいません」と謝り続ける。周りは「実験だ」って分かってるんですが、「あれをやられたら、俺もビビるな」って直感で理解する。そりゃ、訳もわからずにお化け屋敷に放り込まれたら、誰だってパニックに陥るでしょう。それと同じです。
 つまり、「学校の先生に怒られても、直ちに反省してはいけない」(笑)。誰かが怒っていても、それを直接には真に受けない、ってことですね。どこか一歩引いて、状況を分析する視点を絶えず残しておかなくちゃいけない。そういう意味では、学校生活ってのは練習しやすい場なんですよ。だいたい生徒ってのは問題行動取るもんなんです(笑)。怒られるようなネタは予め持っている。そういう自覚があるものだから、怒られた時にそれを当然のこととして受け止めてしまう。しかし、怒られていること自体にビビってしまうのではなくて、「この先生は何を怒っているのだろう。何を要求してるんだろう。どんな意図を自分に強制しようとしてるのだろう」ということを絶えず考えながらその行動を分析してみなさい、という話をします。人間というのは感情の動物ですので、「出会い」によって感情的な上がり下がりを誘導されるのです。得てして、その「出会い」がもたらす意味を見失ってしまう。


どんな「出会い」も「出会い」だ

 出会いそのものに意味がなかった、とは思いたくない自分がいたりしますね。どんな出会いでも「出会い」である、と思いたい。しかし実際には、「伝えたい」「受け止めたい」という前向きな出会いが反映されたものばかりではなくて、「伝わらない」「受け止められない」という出会いだってありうる。相手が全然変化しない種類の「出会い」。例えば、この間の「小木事件」なんかがそうです。「小木」という人物は、いまだに何の変化もしない。彼自身が持ってる掲示板では、彼は今でも不当発言・差別発言を繰り返している。かわいそうだなと思いつつ、何もできない自分もいるわけですけど。
 しかし彼のそういう姿を通じて、「あれは、やはりカルト時代の自分だ」という思いが自分には強烈にありますね。そういう意味では、私には変化をもたらす出会いであった、とも言い得るわけですが。
 出会いのチャンスを生かす、ということは、とにかく「出会い」はどんなものあっても「出会い」だ、というところから出発して、それぞれの「出会い」の意味を、その都度自分の意思と自分の頭で再構築していくという作業がどうしても必要だ、と思っています。何を「伝える」のか? 「あなた」って誰? 「わたし」って誰? 何を「受けとめよう」としているのか? 「わたしはわたし」と自動的に答えを出してしまうのではなく、「私とは何者か?」ということすらをも絶えず問い続ける視点は、どんな「出会い」についても必要だと言えるのではないか、と思います。


イエスとの出会いとは?

 そんなことを、聖書を読む中から見て行きたいと思います。学Yの「学Yらしさ」を形成するかなり大きな部分が「クリスチャニティ」、キリスト教的な価値観がどこかで引っかかってくる所だと思います。そこで「出会い」ということをテーマにした時、「イエスとの出会いとは?」ということを考えてみたいと思ったわけです。我々はイエスとどんな風に出会うのか、どんな「出会い」ならイエスと出会ったことになんだろうか、ということを見てみたいと思います。ちょっと時間が押してて、あんまり細かくはやれませんけれども。


ピラトの「決断」

 マルコによる福音書の15章を開けてみてください。逮捕されたイエスがピラトの裁判を受ける場面です。長いのでストーリーだけを紹介しますが、当時のユダヤ地方というのが、イスラエル王国という独立国ではなくて、ローマ帝国の植民地だったんですね。その植民地としてちゃんと支配されているかどうかを監督するために、ローマから人が軍隊とともに派遣されてきている。それが提督とか総督と呼ばれてます。それが、この時はたまたまピラトという人だった。
 物語では、死刑執行の権限はローマ総督府にしかなかった、ということになっていますが、それが事実かどうかはよく分かりません。しかし、どうもここに出てくる「ユダヤ人」たちは、リンチではなくて、法的に、正式にイエス抹殺を考えていたようです。そこで、ピラトのところまで、わざわざ逮捕したイエスを連れて行くんですね。
 いまうっかり「ユダヤ人たち」と言ってしまいましたが、これをやったのはユダヤ人全部ではなくて、当時のユダヤ教の最高機関、最高法院です。この権力者グループが、なんとかイエスを捕まえて死刑にしようと話し合った。イエスを不当逮捕し、そして不当な裁判で、不当に有罪にした。14章を見ますと、いろんな人たちがイエスは有罪だという証言をするんですが、その証言がいちいち食い違っていた、立証できなかった、と書いてありますね。最終的に「おまえは本当に、ほむべきかたのメシアなのか」と質問をすると、イエスは「そうだ」と答えた。その一言を有罪の証拠にしよう、ということで、強引に裁判をまとめてしまう。
 本当に死刑の権限がローマ総督にしかなかったとして、ローマ総督が死刑だって判定するまではまだグレーゾーンのはずなんですが、「死刑にするぞ」という前提でイエスを連行して、その通りの答えを群集を煽動することで引き出すんですね。お祭の時に、囚人の一人を解放する習慣があった。恩赦ですね。そこではピラトは「イエスはどうも無罪らしい。イエスを釈放しよう」と考えていたんですが、ユダヤ最高法院はイエスを処刑したいので、イエスではなくバラバという人物を釈放させるよう、群集を煽動します。バラバを釈放して、イエスを十字架につけろ、十字架につけろ、そうやって盛り上がって反乱が起きかねない状態に群衆を誘導した。ビビったピラトは、バラバを釈放してイエスを処刑する決断をした。これが、15章の前半の部分です。


義が欠如した世界

 ここに描き出されるのは「正義が欠如した世界」です。正義とは何か、という問題がありますが、とりあえずここでは「決められた役割を決められた通りに行うこと」と言っておきましょう。「とりあえず」ですよ。最高法院は何のために存在する団体だったのか。ユダヤ人全体が神様に仕える生活を正しく送ることが出来るように「神様とは何か」という神学の研究をしてみたり、あるいは人々にそれを伝える「教育」をやってみたり、あるいは実際に個々の生活の場面の中で起きてくるトラブルを解決するための「行政」なり「司法」なりの機能を持っていたのが、この最高法院です。ところがこの時は「イエスは邪魔者だから消す」という結論が先にあって、そのために職権濫用を始めてしまう。これは最高法院本来の使命からの逸脱、つまり「正義の欠如」と言って良いと思います。
 ピラトにも同じ事が言えます。ローマ総督府は、ユダヤが正しく支配されるように(この「支配されている」という環境が本当に「正しい」と言えるのかという問いも、どこかに残さなくてはいけませんが)、暴動が起きそうになったら軍隊を派遣して鎮圧する役目を与えられていた。そのための軍事力まで与えられていた。
 ところが、ピラトもその「正義」を行わない。暴動が起きかけたら軍隊を派遣して鎮圧するべきなんですが、なぜか軍隊も動かしたくなかったんでしょうね。ピラトは、イエス一人を処刑することで収まるのならと、処刑を実行します。「こいつは無罪だ」と思っていたにもかかわらず。ですから、ピラトも自分の役割をきちんと果たしていない、と言えるのです。これもまた「正義の欠如」といっていいのではないか。
 そして、正しく用いられなかった軍事力も暴走します。軍人達は、イエスを磔にするために引き出す途中で、イエスをからかうんです。紫の服を着せて、茨の冠を編んでかぶらせる。「王様のコスプレ」をさせる。「ユダヤ人の王、ばんざい」と敬礼し、ひざまづいて拝んだりする。その一方で、葦の棒で頭を叩き、つばを吐きかけ、侮辱する。「イジメ」の一場面を見るようです。ここでも正しく行われるべき行いが行われていない。つまり、軍人とは命令された軍事行動を行なうのが役割ですが、暴走する軍人たちは、イエスという個人を傷つけ侮辱するという「命令外」の行為に及んでいるわけです。
 十字架につけろという圧力をかけた群集もそうですね。「誰かが」バラバを釈放しろと言った。「誰かが」イエスを殺せと言った。それに単に賛成しているだけ。「自分が」イエスを殺すなんて自覚は、誰も持ってなかったでしょうね。人間としての正義はやっぱりそこでは行われていない。
 イエスの十字架というのは、こういう正義の欠如の中で行われた、と描かれているのです。正義が欠如した世界が、十字架的な世界である。十字架というのは正義の欠如のもとに起こっているのだ、ということをとりあえず押えておきたいと思います。


十字架につけられたイエス

 続いて、十字架につけられたイエスそのものに注目します。イエスを十字架につけるために兵士達が外に連行します。

15:21 そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
15:22 そして、イエスをゴルゴタという所――その意味は「されこうべの場所」――に連れて行った。
15:23 没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
15:24 それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、/その服を分け合った、/だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
15:25 イエスを十字架につけたのは、午前九時であった。
15:26 罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
15:27 また、イエスと一緒に二人の強盗を、一人は右にもう一人は左に、十字架につけた。
15:28 *こうして、「その人は犯罪人の一人に数えられた」という聖書の言葉が実現した。
15:29 そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって言った。「おやおや、神殿を打ち倒し、三日で建てる者、
15:30 十字架から降りて自分を救ってみろ。」
15:31 同じように、祭司長たちも律法学者たちと一緒になって、代わる代わるイエスを侮辱して言った。「他人は救ったのに、自分は救えない。
15:32 メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。それを見たら、信じてやろう。」一緒に十字架につけられた者たちも、イエスをののしった。
(新共同訳「マルコによる福音書」より。以下、聖書の引用は全て新共同訳)


ハードボイルド的文体

 この箇所は「ハードボイルド」と呼ばれる文体によく似ているんですね。もともと「ハードボイルド」というのは、固く茹でた卵を表す言葉です。固茹で卵を「ハードボイルド=エッグ」という。エッグという言葉には、スラングとして「ヤツ」とか「野郎」とかいう意味があるんだそうです。かたゆで卵というのは飲みこもうとすると、胸につかえて飲みこみにくいでしょう。そんなことを連想させるような、タフで、こずるくて、しかし精神的に強靭で、絶対に自分を曲げない、そういうハードボイルド=エッグのような主人公(日本語で言えば「食えないタマ」という感覚ではないかと思います)が出てくる小説を「ハードボイルド小説」と呼ぶようになったんですね。
 しかし、「ハードボイルド」は、むしろ文体を指す言葉として使われています。その文体の特徴は、「心理描写がない」こと。登場人物が何を考えてるのか、何を感じているのか、説明がほとんど、あるいは一切、ない。情景の描写と、登場人物たちの行動の説明と、語られたせりふだけが書かれている。これを突き詰めると、「ト書き」と「セリフ」で構成された演劇の脚本みたいになっていきます。そういう文体が、ハードボイルド小説に多用された。そこで、そうした文体そのものを「ハードボイルド」と呼ぶようになったんですね。
 この文体のもとを作ったのは、ヘミングウェイだといわれてます。彼が何でそういう文体にこだわるようになったか。第一次世界大戦を通じてヘミングウェイは(戦後も謀略組織と関係を持ちつづけて、その結果殺されたんじゃないかという研究もあるんですけど)、その人が「何を感じているか」「何を願っているか」を問題にせず、「何をしたか」のみに注目する。戦争体験から洞察して、そういう一種の「人間理解」に辿りついたわけです。そこから、登場人物達の行動だけを描写する文体を生んだ。何を考えてそういうことをやったのかとか、あるいはその行動の価値や意味が何かっていうことは解説しない、読者に全て考えさせる、という文体をとった。
 こういうヘミングウェイの文体をパクって、ダシール=ハメットという人が『血の収穫』という作品を書き上げます。それこそ「食えないタマ」が主人公で、この作品が「ハードボイルド小説」という言い方の元になりました。この人も第一次大戦の参戦者ですから、ヘミングウェイの人間理解に共感する部分があったのかもしれません。パクられたヘミングウェイが「やられたぁ」と言ったか言わなかったか、さらにパクり返して、より自分の文体を磨き上げた。それをまたハメットがパクって『マルタの鷹』なんかを書いた。そういうことが、ヘミングウェイとハメットとの間で繰り返されて、「ハードボイルド」という文体が練り上げられた、と言われています。
 先ほどお読みした聖書の箇所では、全くそういう文体が使われています。「誰が何をしたか」だけが淡々と述べられるばかりで、「その時イエスはこう思った」なんてことは一切書かれていない。「祭司長たちはどう思っていたか」も書かれない。「イエスの十字架がどういう意味をもたらすのか」という解説もない。これは、我々読者に想像させるための文章ですね。正義のない世界で虐殺されるイエスの様子が淡々と描写されている。そして、イエスは死ぬ。イエスの死の意味や価値は読者が考える。


イエスの叫びをめぐって

 この正義のない世界でイエスがどんな死にかたをしたのか、ということを次に読みます。

15:33 昼の十二時になると、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
15:35 そばに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「そら、エリヤを呼んでいる」と言う者がいた。
15:36 ある者が走り寄り、海綿に酸いぶどう酒を含ませて葦の棒に付け、「待て、エリヤが彼を降ろしに来るかどうか、見ていよう」と言いながら、イエスに飲ませようとした。
15:37 しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。
15:38 すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。
15:39 百人隊長がイエスの方を向いて、そばに立っていた。そして、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
15:40 また、婦人たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。
15:41 この婦人たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、イエスに従って来て世話をしていた人々である。なおそのほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た婦人たちが大勢いた。

 正義の欠如した世界の中で、「我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」とイエスは叫ぶ。この、ギョッとするようなセリフの解説も書かれていない。
 わたしがT協会にいたころ聞かされた解釈によれば、このセリフこそが、イエスが失敗したメシアであることの証拠だ、ということになります。「だから新しいキリストが必要なのだ。それはM教祖だ」と続くのです。イエスは失敗したのだ、イエスは神から捨てられたのだ、イエスの十字架は敗北なのだ、という受け取り方。


イエスの信仰告白

 ところが「これは失敗ではない。イエスは敗北したのではない」という読み方も可能なのです。というより、どうもマルコによる福音書の作者は、そのように強調・主張したいらしい、とさえ言える。どうしてそんなことが言えるか、というと、詩篇22編というところを見て下さい。

22:2 わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。

 イエスの死ぬ間際の叫びは、この詩篇22編と全く同じですね。22編に書かれているのはどんな歌か。「わたしはこんな危機的な状況にいます。わたしの敵が周りに大勢います。誰も私の味方をしてくれません。わたしは虫けら、人間のクズ、民の恥」。まるで脱会直後の私の気持ちがそのまま歌われているようでドキッとする歌ですが、他にこんな共通点もあります。

22:8 わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。
22:9 「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」

22:17 犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。
22:18 骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め
22:19 わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。

 ここまで共通していると、むしろマルコによる福音書の作者は、明確に「詩篇22編を思い起こせ」と訴えようとしている、誘導しようとしている、と言い得るのではないか。そして、この22編は、

22:24 主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。
22:25 主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。
22:26 それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。

という信仰告白になっていきます。
 つまり、マルコによる福音書の作者は、イエスの叫びを通じて、読者に詩篇22編を思い起こすように呼びかけている。読者を誘導するわけですね。そして詩篇22編は、今見た通りに「信仰告白」です。イエスは、死んで行くその時にも「私は神に仕えていく」という信仰告白、決意表明をした、ということになる。たとえ私は死のうとも、神に仕えていくぞ、という決意表明をしたのだとするならば、どうでしょうか。T協会の解釈のように「失敗したイエス」とは違うイエスが浮かび上がってくるのではないでしょうか。


マルコの「十字架」

 なぜこの十字架の場面を取り上げたのかと言うと、マルコによる福音書は「十字架に向かって歩んで行くイエスの物語」なんですね。もちろん他の福音書もそうなんですけど、「十字架に向かって突っ走って行くイエス」を中心的に描写する。弟子達がついて行けないで、「先生、待ってください」って言ってるうちに十字架につけられてしまって、「ありゃぁっ、大変だあっ」と弟子は逃げてしまった。そういうことを書こうとしているのがマルコによる福音書である。つまり、「十字架」がマルコによる福音書のクライマックスなんです。
 だから、マルコによる福音書に描かれているイエスとの「出会い」には、十字架に注目する必要がある。そして、いま見てきた通り、十字架の物語は詩篇22編の内容を軸に進んで行くわけです。詩篇22編の作者は、神から捨てられている情況の中で、「なぜ私をお見捨てになるのですか」と叫んでいる。「神から捨てられている」と判断する根拠は、他人から、すなわち「人間」から捨てられているという体験を根拠にしています。隣人からいじめられる、隣人に裏切られる、隣人によって殺される、そう言うところから「私は神から捨てられている」という受け取り方をしているわけです。
 これは、実はイエスがずっと言い続けてきたことと全く同じだな、とわたしは思ったりするんです。


神と隣人

12:28 彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
12:29 イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。
12:30 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
12:31 第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

 「どれが第一でしょうか」と聞かれてるのだから1個だけ答えればよさそうなものを、イエスは2個同時に答えるんですね。「神を愛しなさい」と「隣人を愛しなさい」。神を愛するってことと、人を愛するってことが並列して書かれている。両者は切り離されない。
 創世記の3章と4章を読むと、全く同じ枠組みを持っていることが分かります。創世記3章ではアダムとエバが食ってはいけないといわれていた木の実を食ってしまった場面が、4章では、そのアダムとエバの息子であるカインとアベルのお話が語られています。兄のカインが弟アベルを殺してしまったというお話。起こった出来事の内容は違いますけど、根幹のテーマはほとんど同じことが語られています。イエスが「神に対する愛」「隣人に対する愛」の両者をワンセットで語っているのと同じ事が、逆の形で言われている。「神の戒めを破ってしまったアダムとエバは、お互いに責任をなすりつけあう関係になってしまった」「腹いせに殺してしまえるような兄弟関係しか作ってこなかったカインの献げものは、神には受け入れられなかった」。
 また新約に戻りまして、ヨハネの第一の手紙には、こう書かれています。

4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。

4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。
4:21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。

同じく新約にあるヤコブの手紙には、こう書かれています。

2:14 わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。
2:15 もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、
2:16 あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。
2:17 信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。


隣人との出会い

 だいぶ話があちこちに飛んでいますので、まとめます。
 イエスが「わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」という叫びは、隣人に見捨てられるという体験が根拠になっている。「隣人を見捨てる」という「正義の欠如した世界」は、「神に見捨てられた世界」です。「隣人を見捨てる」という生活の中では、「神との出会い」は起こらない、ということです。だからイエスは、「わが神、なぜ私をお見捨てになったのか」と叫ぶのです。
 裏返して言えば、「隣人と出会っていく」とき「神との出会い」が起こっている。「隣人を愛する」とき「神への愛がある」ということです。「隣人と共にある」とき、「神と共にある」のです。十字架上で信仰を告白するイエスは、「隣人が私を捨てようとも、わたしは隣人を捨てない」という決意表明をしているのと同じ事になる。
 「神との出会い」を描いた場面に、旧約のサムエル記 上 3章があります。

3:7 サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。
3:8 主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、
3:9 サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕(しもべ)は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
3:10 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕(しもべ)は聞いております。」

 ここでは、「神との出会い」=「神への愛」が「神の言葉を聞く」という所から始まっています。それでは、隣人愛とは? 「隣人に聴く」ということから始まるのではないか。とりわけ「正義の欠如した世界」において、隣人の「なぜ私をお見捨てになったのか」という叫びに耳を傾けることから、「隣人との出会い」=「隣人愛」が始まるのではないか。


隣人って、誰?

 さて。普通の聖研ならここで終わるのですが(笑)。さきほど、『「私とは何者か?」ということすらをも絶えず問い続ける視点は、どんな「出会い」についても必要だ』というお話をしました。今までのお話では、特に断りもなく「隣人」という言葉を使い続けてきましたが、ここでも「それなら、隣人って誰?」という問い直しが必要です。そして、「隣人と出会う私って何者?」という問い直しも必要です。
 ヒントになるお話を紹介すると、「今さら」という感じもする「サマリア人のたとえ」(ルカによる福音書)。その最後の部分に注目します。

10:36 さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」
10:37 律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」

 このお話は、「では、わたしの隣人とはだれですか」という質問を受けて語られていますね(10:29)。しかしイエスの答えの末尾は、「隣人とは誰か」という問いに対する答えではなく、「誰が隣人か」という逆転したものになっています。そして「あなたが望む『隣人』になりなさい」とイエスは勧めている。
 「隣人とは誰か」「私とは何者か」という問いには、実ははっきりした答えというものが存在しません。私の体験から言えば、「これが隣人です」「これがあなたです」と明確な答えを出してしまうのが、カルトの思考様式です。そして、先ほどの実験で明らかな通り、私達は「明確な答え」に引き寄せられて、それを抵抗なく受け入れてしまう、という傾向(弱点)を持っています。
 「これが答えだ」という明確なゴールは、ない。むしろイエスは「あなたは、どんな隣人になりたいのか?」「あなたは、どんなあなたになりたいのか?」と問い掛けるのです。


私はどんな私になりたいのか

 「私は何者か?」という問いは、言い方を換えれば「私は、どんな私になりたいと願っているのか?」という問いであるのです。この問いを保ち続けるのでなければ、「出会い」は生きたものにならない。死んだものになってしまう。
 「お前はこれだ!」「お前はこうあるべきだ!」という価値観の圧力に抵抗して行かなければ、この問いを「問い」として保つことはできません。少々品の悪い表現ですが「いつも心に中指を立てる」という、一種のハードボイルドな生き方が求められます。
 昨日の「価値観ゲーム」の中で、熊切くんが「男は、強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」という言葉を紹介しましたね。あれは、レイモンド=チャンドラーという人が書いた『プレイバック』というハードボイルド作品の中で、主人公の私立探偵フィリップ=マーロゥが語るセリフです。しかし原典には「男は」という表現は存在しません。「あんたって、そんなに強いくせに、どうしてそんなに優しくなれるの?」と質問されて、「強くなければ生きて来れなかった。優しくなければ、生きている資格はない」と述懐するのです。なぜか、このセリフだけが一人歩きを始め、いつの間にか「男はこうあるべし」という「明確な答え」として使われるようになってしまった。しかしフィリップ=マーロゥが言おうとしているのは、「優しい私でありたい」という願いを保ちつづけてきた、ということです。それはもちろん、万人に通じるような「明確な答え」なんかではない。そういう願いを持ちながら、現実にはタフな自分になってしまった、ということですね。


讃美歌533番

 先ほど練習した、讃美歌533番について。どちらかというとベタな歌で、私はこういう歌は、実は好きではありません。しかし作詞者の年代を見て下さい。1959年から1967年。単純に計算すると、8年しか生きていないことになります。この高橋順子という人は8歳で亡くなっているのです。
 何があったのかは良く知りません。病気で亡くなったということは聞いた事がありますが、そういう闘いの中で、この詞が書かれた。

 どんな時でも 幸せを望み
 くじけてはならない
 イエス様の愛があるから

 この人が語る「どんな時でも」という言葉の重みを考えます。「望み」を捨ててはいけない、というメッセージの熱さを感じます。「イエス様の愛がある」という信頼の強さを思います。
 余談ですが、この人が亡くなった1967年は、私の生まれた年でもあります。この人が残してくれたメッセージは確かに私に連続している、という不思議さに、感謝を覚えます。


『薔薇はあこがれ』

 どんな「私」になりたいか? 言わば「かっこいい(と思える)自分の追及」ですね。もちろん、「そのかっこよさは妥当なのか」という検証は絶えず必要です。ですが、その追及の途上にある限りにおいて、私達は自分自身を誇ることができる。どんなに苦しい時でも、どんなに情けない姿を晒していても、私達は自分を誇ることができる。なぜなら、追い求めている限り、そこに近づきつつあるのだから! 「約束の地」を求めるイスラエル民族の旅ですね。これが、イエスが言う「神の国は近づいた」というメッセージでもあります。
 そのような私たちとして、「誰か」を支える歌を共に歌いたいと思うのです。用意したのは、『薔薇はあこがれ』という歌です。最後に、一緒に歌いましょう。

  『薔薇はあこがれ』

 永久(とわ)の誓いに背いた心が
  君を捨てて行く時も
 隠し切れない悩みを
  誰にも打ち明けられない時も

 薔薇はあこがれ 薔薇はあこがれ
 薔薇はぼくたちの夢

 暮らしに追われ あちこちと町を
  急ぎ駆け回る時も
 おなかが空いて その上オケラで
  夜風がわびしい時も

 薔薇はあこがれ 薔薇はあこがれ
 薔薇はぼくたちの夢

冬が長すぎ
  明日に小さな望みも持てない時も
 冷たい胸を
  温めるための友達もいない時も

 薔薇はあこがれ 薔薇はあこがれ
 薔薇はぼくたちの夢

 君が聞いてるぼくのこの歌を
  少しあげましょう 君に
 君の思いに 君のあこがれに
  香りをつけよう 薔薇の

 薔薇はあこがれ 薔薇はあこがれ
 薔薇はぼくたちの夢

 薔薇はあこがれ 薔薇はあこがれ
 薔薇はぼくたちの夢

 薔薇はあこがれ 薔薇はあこがれ
 薔薇はぼくたちの夢・・・
               
              テープ起こし:高徳宗和  熊切 拓


『竹迫牧師のキリスト教入門記』(仮)  もくじ