クメール=ルージュの遺跡
その2

地下では、陰府が騒ぎを起こす
お前が来るのを迎えて。
そして、亡霊たちを呼び覚ます
地上では、すべてつわものであった者らを。
また、その王座から立ち上がらせる
諸国の王であった者らを皆。

彼らはこぞってお前を迎え、そして言う。
「お前もわれわれのように無力にされた。
 お前もわれわれと同じようになった。」
              イザヤ書 第14章 9-10


収容所内の建物のひとつ。
囚人の自殺を防止するため、有刺鉄線が
張られていた。

囚人用の便所。
元は学校の教室なので、レンガで小部屋に区切って、
弾薬箱を便器に置いてあるだけの造り。
監視の必要から、もちろんドアなど付けられていない。
別の日に売春地帯を見学した時、その建物が
これと全く同じ構造で作られているのを見て、衝撃だった。
UNTACが駐留していた時に爆発的に売春宿が増え、
それが今日のHIV問題の引きがねになったのだそうだ。

当時使用された、各種拷問用具。
それがどのように使用されたのかを
描いた絵(前述の画家による作品)も展示されている。

同じく、拷問用具の展示会場。
水攻めに関する物が多かった。

この会場の一番最後に展示されていた
カンボジアの地図。
この施設の近隣で発掘された犠牲者たちの
頭蓋骨によって作られたモニュメント。

 わたしが「同じことを自分もやり得るのだ」と感じるのには理由がある。
 『キリング・フィールド』という映画を観ていたことは、前にも書いておいた。
 カンボジア人ジャーナリストが、クメール=ルージュの支配するカンボジアから
 命からがら脱出する実話に基づいた物語だ。
 クメール=ルージュの、とりわけ「アンカ」がどれだけ残虐であったか、
 良くわかる映画だった。

 だが、わたしはこの映画を、破壊的カルトのメンバーだった当時に
 その団体の反共戦略の一環として観たのである。
 
 その団体では当時「第三次世界大戦に備えよ」と
 違法収益活動や軍事訓練を行なっていた。
  「もし戦争になったら、われわれが最前線で共産主義者と戦うのだ」と。
 (現在では「反共」は前面に出てこなくなり、武闘路線も変更したように見えるが)

 わたしは、そのような文脈でこの映画を観て、
 素直に「共産主義は根絶しなければ」と考えながら、
 テロの訓練を進んで受けていたし、違法な収益活動にも精を出したのだ。

 それが正義だと信じたのだ。
 
 最近、このページを製作するために、『キリング・フィールド』をもう一度観た。
 われわれが信じる「正義」とは何なのだろうか。
 「平和」とは何なのだろうか。
 そんなことを考えながら。

 この博物館からクルマで、実際の「キリング・フィールド」を目指した。
 途中で、カーラジオから、ジョン=レノンの『IMAGINE』が流れてきた。
 映画の『キリング・フィールド』のエンディング=テーマとして使われていた曲だ。

 その偶然に出来すぎたものを感じながら、
 同時に、自分自身が虐殺の当事者たり得る将来に怯える気持ちを
 改めて抱いたのだった。

 数年前、あるキリスト教会立の幼稚園で行なわれた
 アマチュアバンドのコンサートを収録したビデオを観た。
 そのバンドは、『IMAGINE』を日本語で歌い、園児たちに聴かせていた。

 「天国はない」という歌詞を含んだその歌を
 子どもたちにこそ聞かせることの大切さを
 改めて考えていた。


いわゆる「キリング・フィールド」に建てられた
犠牲者たちのための慰霊塔。
20メートルほどの高さだろうか。
ラジオでジョン・レノンの「IMAGINE」を聴いたのは、
ここに向かう途上のことだった。

塔の中に入ることができる。
実はわたしは、中に入ってみるまで
これが「慰霊塔」だとは気付かず、
何かの観光施設なのだと思っていた。

塔の内部。
天井裏まで達する吹き抜け構造になっており、
その天井いっぱいまで設置されたガラスケースの中には
付近で発見された犠牲者たちの
頭蓋骨が収められていた。
どれほどの数になるだろうか!

慰霊塔の周囲には、犠牲者たちを発掘した時の穴が
そのまま保存されている。
この場所では、450人分の遺体が発掘されたという。

穴から穴へと見て回る。
風化しないようにと屋根が架けられている所もあれば
そのままになって水が溜まっている穴もある。
外国から訪れる人が多いのか、
ストリートチルドレンがまとわりついて来た。

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