地雷との闘い

このことを聞け。
貧しきものを踏みつけ
苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。
安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は
小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。
弱い者を金で、貧しいものを靴一足の値で買い取ろう。
また、くず麦を売ろう。」

主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
「わたしは彼らが行なったすべてのことを
 いつまでも忘れない」。

              
アモス書 第8章 4-7

 カンボジアが体験してきた数々の戦争の最中に、無数の地雷が埋設された。
 その量は、カンボジアの全人口を傷つけることが可能なほどである
 と考えられている。

 地雷は、専用の物のほかにも、榴弾や砲弾を転用したものなどバリエーションが
 豊かであり、 設置の手間とコストが安い割に効果的な兵器である。
 手軽で安価な兵器である地雷は、敵に障害者を作り出すために用いられる。
 戦意喪失や機動力低下を促すのに有効なのだ。
 だから、攻撃対象は戦闘員・非戦闘員を問わず無差別である。

 そしてその除去には、高いコストと膨大な手間が必要で、リスクも高い。
 地下20センチメートルに埋設されることが多く、除去には専門の知識と技術が必要だ。
 現在カンボジアには3000人の地雷除去技術者がいるというが、
 それが総出で取り組んでも、全ての地雷を除去するには100年以上の時間が必要で、
 技術者養成のコストを考えると、地雷1個の除去に必要なコストは100万ドルになる。

 もちろん、カネだけあっても地雷は除去できない。
 除去技術者の養成が急務だ。
 除去作業中の事故も多いと聞く。

 地雷の除去は、手作業で慎重に進めるより他ない。
 金属探知機で探索するが、地雷以外の金属に探知機が反応しても、
 その発掘には地雷に対するのと同じ注意深さが必要となる。
 命の危険を冒しながら慎重に掘り進めて、
 出てきたのは釘1本だった、ということも頻繁なのだそうだ。

 だから、1キロ四方の安全を確認するのは容易ではなく、
 80%以上の探知率で安全宣言をせざるを得ないという現状がある。
 (もちろん、どの地域に対しても100%を目指しているそうだ。
  一度探査を終えた土地にも、3ヶ月後にもう一度調査を実施しているそうである)

 地雷の危険や避け方などについての教育を進めているものの、
 被害は跡を絶たないそうだ。
 農作業中の人が被害に遭うケースが多いのは、
 地雷が埋まっているからといって、農作業を休むわけにはいかないからだ。
 多くの人が「地雷原だ」と知りながら、被害に遭っている。
 地雷と知らずに偶然発掘してしまった異物をおもちゃにしていて
 破裂させてしまう子どもも多いという。
 地雷の被害に遭った家族を助けようとして
 自分も地雷を踏んでしまった、という人もいる。
 
 病院も医者も絶対的に少ない。
 被害に遭っても、発見されるまでに時間がかかったり、
 遠くにある病院に運ばれる途中で命を落とす人々も多いのだ。

 命が助かっても、医療や社会復帰訓練のために、重い負担を強いられる。
 被害に遭った本人だけでなく、家族全体がその重荷を負わなければならない。
 家族に捨てられる被害者さえもいる。

 我々は、地雷の被害に遭った人々を保護する施設を2箇所訪問した。


政府が運営する地雷被害者の保護施設(Handicap Soldier Center)。
元々は傷痍軍人のための施設だったが、
地雷の被害にあった民間人やその家族も受け入れている。
全くの資金難で、義足や車椅子を供給する他は、
社会復帰プログラムなどを行なう余裕がないのだという。
仕事を見つけられたものは、この施設を根城にして
外に働きに行くことなる。
だが、就職率はよくないのだそうだ。
説明してくれた軍人も、片足が義足だった。

地雷の被害者が居住する建物の内部。
ひとつの建物に多くの家族が押し込まれていて、
ほとんど地震被災地の避難所の様相を呈している。
「被害者に対するメンタルケアは?」と質問したところ、
「カウンセリングを実施している」との答え。
どのような種類のカウンセリングなのかはわからなかった。
答えた人も、「カウンセリングとは何か」について
あまり知識を持っていなかったようだ。
手前に写っているのは、タイSCMメンバーのLYN。

施設内には幾つかの屋台があり、
見学者向けのお土産や簡単な料理を売っていた。
商売をしている人々も、ほとんどが義足だった。
屋台の前を歩く人も、実は義足をつけている。
両足が義足という人も多かった。

車椅子に乗っている男性は、元軍人。
地雷が埋設されている所に腰掛けてしまい、
右足が付け根から吹き飛ばされてしまった。
右手首も失われていた。
恩給は出ているが、十分ではないと言う。
そもそもこの場合、「十分」ということが
あり得るのだろうか。

 カンボジアを苦しめている地雷は、外国産のものがほとんどである。
 感圧センサーに日本製の部品が使われている地雷もある。

 そして、金属探知機にも日本のテクノロジーが使われていたりする。

 除去することが難しい武器と、その武器を除去するための道具の両方を売って
 儲けている人々がいるのだ。

 カンボジアの学生には「日本に留学して電子テクノロジーを学びたい」と
 語る者が多くいた。
 もし、安いコストで同等性能の金属探知機を国産化できるようになれば、
 確かにカンボジアの地雷除去を加速することは間違いないだろう。
 だが、そのテクノロジーこそが祖国を傷付け苦しめているという事実を、
 彼らはどのように受け止めているのだろうか?

 日本に住むわたしの生活が、
 そのようにして築かれた豊かさの上に成り立っていることを、
 彼らはどのように考えているのだろうか。

 すでに敷設されている地雷を除去することはもちろん必要だ。
 しかし、世界的な趨勢を見ると、除去される地雷の数より、
 新たに敷設される地雷の数の方が圧倒的に多いのだ。
 地雷の製造・使用を禁止する国際法の制定が急がれている。

 日本にも、その運動の推進に協力する団体が幾つかあり、
 『地雷ではなく花をください』という絵本は
 売上げが地雷除去のために用いられる。


フィリピンのカトリック教会が運営する
地雷犠牲者の社会復帰訓練施設にて。
足がなくても足踏みミシンが動かせるように
前後に動くベンチが考案された。
ベンチを揺り動かすと、それがミシンの動力に変換される。
敷地は手入れが行き届いており、職業訓練に励む人々の
笑顔が明るかった。
整備の行き届いた施設環境も
政府運営の施設とは雲泥の差であった。
ここにいた犬は、カンボジア内で見た中では唯一
人間の友達であるようだ(残念ながら未撮影)。

同じ施設内の、木工訓練所。
観光客土産用の仏像を彫っている。
他にも、テーブルやイスなどの家具が造られている。
インストラクター(写真左)も、地雷の被害者だ。
この施設では他に、
モーターサイクルをメンテナンスする技術などの
教育も行なっている。

Cambodian Mine Action Centre 議長の Ieng Mouly氏から
地雷除去の状況について話を聞いているところ。
なかなかに陽気な人物であったが、
話題が重すぎた。

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