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『竹迫牧師のキリスト教入門記』(仮)  もくじ


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まえがき

 わたしが大学を中退したのは、二年生から三年生に進む直前の三月。とても良く晴れた日だった。事務所の窓口に退学届を提出してから、門に向って進める一歩一歩が「別世界」への出発であるかのように感じられたものだった。世界がまるで違ったもののように感じられたのだ。その気持ちは以前にも感じたものと似ているように思ったが、以前の時のような「喜び」や「希望」といった前向きな気分はかけらもなく、「あーあ、とうとうやっちまった」という虚脱感ばかりが意識されるものだった。
 その半年前から、わたしはある写真店でアルバイトを始めていた。退学してからも一年近くそこで働いたのだが、大学の正門から歩いて五分のその店に、学生証更新のための証明写真を求める同級生たちが、予想外に続々とやってきた。顔見知りの連中も、まだわたしの中退を知らなかった。店員としての職業的な愛想笑いを浮かべて、わたしは彼らの顔写真を撮り続けた。インスタント証明写真用の4眼カメラのファインダーから覗く彼らの姿は、「おれは、もう彼らとは違う世界に生きているのだ」という意識を与えるのに十分な役割を果たした。
 何事につけ、始めたことを中途で投げ出すのは敗北だと信じていた頃のことだった。一応は「牧師になるために、別の大学へ進む」という目標を持ってはいたが、それまで以上の金も学力も必要なその目標に辿りつく自信など、何もなかった。店内の備品のチェック・次々に現れるお客たちへの対応・証明写真の撮影技術の向上。単純と言えば単純だが、やらなければならないことは山ほどあった。間もなくわたしの最大の関心事は、いかにして効率良く時給を稼ぐか、ということだけになった。

 そのとき、まるで警報のように、わたしのアタマにひとつの歌が鳴り響き始めたのだった。

 裏の畑にビルが建つ
 ひょんなことでも腹が立つ
 空の真中に虹が立つ
 恐れ入りやの鬼子母ブタ
 課長部長えらい 社長会長えらい
 えらきゃ白でも黒になる
 タイムレコーダーがっちゃんがっちゃん押せば
 ふにゃーっとめげてる場合じゃない
 シビビーンとシビビーンとやるしかない
 シビビーンとシビビーンと行くしかない
 シビビーン・ラプソディー

 小学生のときに放映されていたアニメ番組の歌だった、という記憶しかなかった。なぜ思い出したのかもよくわからなかった。山本正之という歌手の曲だということは知っていたが、タイトルはわからなかった。
 でもわたしは、まるで警報のように鳴り響くこの歌に励まされるようにして、その日々を過ごしたのだった。
 直後に『タイムボカン名曲大全』というCDアルバムが発売されて、この曲が『シビビーン・ラプソディ』というタイトルであることを知った。以来、山本正之さんのアルバムは、発売されるごとに買い続けた。
 その山本さんの曲に、『真実イッターマン』という歌がある。

 悔しさこらえて 頭を下げてたね
 君の震えるこぶしが わたしに見えました
 ありの穴から這い出るウソ 煙のように広がるウソ
 象は黙って働いた そんなはずはない
 社会や理科の成績を 窓から投げ捨てりゃ
 泳いでる カワウソ カワイソウ
 イソガシイ毎日
 真実はたったのひとつだけ
 大宇宙の彼方に置いて来たぞ
 昔のままのほっぺたを 鏡に変えて
 空を映せば ピカリ光った
 あなたの正義
 パセリを育てたよ クジラのお父さん
 I Said You Said  心の奥を
 ウ〜 イ イ イッターマン YES!

 聴けば聴くほど、「わたしは山本さんの歌に支えられてきた」という実感が深まったものだ。
 この「まえがき」を書いている今から半年前に、山本さんが主宰する劇団の『ストレンジャー』という演劇の舞台を観に行った。大西洋無着陸横断の大冒険に出かけてトラブルに見舞われたリンドバーグを主人公にしたSF作品だった。「飛行機は戦争の道具じゃないってことを、人類は地球のかわいい冒険者だっていうことを、みんなにわからせるんだ!」という親友の言葉に冒険への出発を決意するリンドバーグ。わたしもまた、青森県から東京まで「飛行機」に乗って、その芝居を観に行ったのだった。
 舞台が終わってから、一瞬だけ、山本さんご本人とお話するチャンスがあった。
 「青森から飛行機に乗って観に来ました」と言ったわたしに、
 「今夜泊る所はあるの?」と、山本さんが心配してくださった。
 たくさん申し上げたいことはあったのだけれど、他にも山本さんと握手しようとするお客さんがいっぱいいたので、「埼玉にある実家に泊ります」としか言えなかった。

 この本は、わたしのキリスト教入門の顛末を記したものだ。山本さんの『シビビーン・ラプソディ』や『真実イッターマン』や、そのほかのたくさんの作品から勇気をいただいて書いたものだ。
 わたしの主観的な思い出によって書いているので、必ずしも事実に基づくのではない部分が、少なからずあるかもしれない。不快に思う人や、迷惑に感じる人があるかもしれない。
 だが、「事実(FACT)」と「真実(TRUTH)」は、必ずしも一致しないことがあり得る。それは、少ない経験からではあるが、わたしがこれまで学んできた「真理」のひとつだと信じている。
 わたしは現在、キリスト教の牧師として生きている。そして、週に何回かは、キリスト教主義高校の非常勤講師を務めている。でも「あなたもキリスト教徒になろう」とお勧めする気持ちは、実は殆どない。「全くない」というと、やっぱりウソになるけれど、自分の中にある「真実」を押し殺して「事実」としてのキリスト教徒になるよりは、キリストの「キ」の字さえ知らなくても「真実」を大事にして生きる方がよっぽど素晴らしいことだ、とわたしは考えている。

 そんなわけで、この本を「真実」に生きようとする全ての人に献げます。




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