牧 師 館 の 書 斎
いわゆるひとつのWHAT'S NEW
(竹迫牧師は、書斎にこもると独り言をずーっと呟く癖があるのだった)


 更新情報と、日記の結合。
このページは不定期に増殖する可能性があります。
ただし、「可能性」です(^_^;)


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2002年5月4日

「当サイト掲示板における発言のガイドライン」修正版公開

どーも。TAKEっす。
極めて短い期間の更新だ!!
とは言え、自力によるものではありません(^^;)(^^;)(^^;)

ページ内リンクがうまく動かなかった『ガイドライン』を、nonちゃんが修正してくれました。大感謝。

「白河のページ、もうできた?」攻撃が押し寄せております。
そんな、無理言わんといてください。
まぁ、ボチボチやりますから・・・。


2002年4月30日

トップページ改造
掲示板 『新・牧師館の改装リビング2』開始
「当サイト掲示板における発言のガイドライン」改造・・・と思ったが・・・!


どーも。TAKEっす。
お久しぶりです。前回の更新から半年ぶり・・・。「次の更新は2002年かぁ?」の予言が的中しました。
おれって、予知能力者かも。  (←違う)

いや、自分でも思ってもみなかった突然の転任で、「あー、せめてトップページは変えなきゃ〜」とは思ってたんですよね。そこへ来て、今まで使ってた掲示板が突然閉鎖されちゃって。
ホントは突然でも何でもなくて、数ヶ月前からアナウンスしてたらしいんだけど、引越しのドサクサで気付いてなかったというわけ。
だから、全くログを取ってないっす。すんません。
まぁ、心機一転、これからもよろしくってなことでお茶を濁しておきます。

「ガイドライン」は、公開直後に、nonちゃんから「改造してみました」とデータを受け取ってたんだよね。なのに、ズルズルと引っ張っちゃって。ごめんね。

いまは、浪岡時代に一応の区切りをつけて、ほとんど廃人になりつつあります。結構疲れてたわぁ。人間らしく、生活を楽しみながら生きていこうと決意中です。とりあえず、学校へ行かなくて済むようになったのは、ホントにありがたいなぁ。
今のうちに、心身ともにメンテしておこうと思います。

あらら? いま「ガイドライン」のページを見たら、うまくジャンプできませんな。なんで? どうして?
nonちゃん。助けてくれぇ〜!!


2001年10月14日

「当サイト掲示板における発言のガイドライン」公開

「メールが築くネットコミュニティー」 『アレテイア』(日本基督教団出版局)No.34掲載

毎度。TAKEっす。
すげーな。前回の更新から9ヶ月以上も経ってるぜ・・・┗(-_-;)┛

日本基督教団出版局が発行する神学雑誌『アレテイア』に依頼された原稿、転載の許可が得られましたので、アップしました。ホントは7月の時点で許可は出てた(ただし、9月以降の公開ということで)のですが、なんやかやと忙しさに紛れて、それっきりになってました。

でも、掲示板で「対話」が全然機能しない人との「対話」にアタマとココロを痛めたので、これを機にやっちまえ!と大幅な加筆をしてアップいたしました。本文の「まえがき」にも書きましたが、そこで定義されている「対話」(あるいは「議論」)を、当サイト掲示板における発言のガイドラインとさせていただきます。

しかし・・・。こんなことまで明文化しなきゃいけないなんて、おれさま悲しいぞ。何も大層なことを言ってるんじゃありません。相手の言ってる事を聞いて、それに応答するってだけの話。いわば、人間としての生活の基本でしょ? それができない人が増えてるってことなんでしょうか。まさか「元々そんな人は少なかった」とかだったら、ヤだな。

この原稿、相当苦しんで書いた(だって、締め切りが期末試験と重なったんだもん)のですが、得る所が多々ありました。ここ2年分の問題意識を全部ぶつけた感じ。で、同時期に依頼された他の原稿だとか講演だとか、ぜーんぶこのネタを使いましたぁ。今は、同じ出版局の別部署が発行している『礼拝と音楽』という雑誌で、1年にわたる説教の連載を引き受けちまって、これがまた七転八倒。いずれ公開させていただくぞ。

それとねぇ、最近は携帯電話でもこのページを見れるらしいんだけどね。高校生諸君、そんなお手軽な方法ばかり使ってると、「電脳不自由者」になってしまうぞ。ネットアクセスもBBSカキコも、パソコンが基本です。それを想定してページを作ってるんだからさぁ。

そろそろ「近況」の新ネタを披露したいのですが、これまた時間がなくて延び延びです。すんません。

さーて。次の更新は2002年かぁっ??

あーっ! 今気付いたけど、今日で公開3周年達成だぁっ!! 日ごろのご愛顧、感謝!!!


2001年1月5日

掲示板『続・牧師館の改装リビング』を設置

『2001年の年賀状』を公開

毎度。TAKEっす。
とうとう21世紀になってしまいました。これまでは「非日常」の代名詞だった21世紀が、これからは「日常」になりますね。
無料掲示板の使用期限が切れちゃったので、引っ越しました。PSYTOくんの紹介してくれた「せっかく掲示板」です。
利用規約に「宗教目的で使用してはいかん」という趣旨の項目が含まれてましたが、まあ「宗教者は使用禁止」という意味ではないだろうと解釈し、登録してみました。わし、あんまり「宗教」っぽくないしね( ←それでいいのか!?)。

それから、前の掲示板に一瞬だけ貼り付けておいた2001年の年賀状を公開しました。
新世紀もよろしくね。


2000年9月11日

『説教の部屋』を更新

毎度。TAKEっす。
いよいよ佳境に入ってきた黙示録の連続講解説教を、9月13日分までアップしました。
うわー、恥かし。ヘタクソすぎる〜など身悶えしつつ、作業に励んでおりました。
今回はアナタ、『ガメラ』なんかも語っちゃいましたよ。ぜひとも『ガメラ 3』はご覧になって下さいまし。

ところで、『入門記』はさっぱり進みませんねぇ。この夏、あんなに苦しんだのになー。
こちらも、この夏書いた分を、近々アップの予定です。


2000年9月11日

「あそこのページ」に
「TAKE牧師の作品集」を公開
掲示板「屋根裏のVIPルーム」を設置

ども。TAKEっす。
なんだか破滅的に恥かしいのですが、これまで書きためた小説を発表しました。
「あのページ」の「あそこらへん」から入って下さい。ヒントは、このページのどこかに書いてありますから。

別に文芸モノにこだわってるわけじゃないんで、「おたくネタ」であれば何でも書いていい掲示板も設置しました。
ディープな話題で盛り上がりたいですな。わははは。


2000年9月11日

『入門記』(仮)のページ
「歌・出会い・イエス」を公開

ども。TAKEっす。忙しさにかまけているうちに、なんと3ヶ月も過ぎてしまったあああああっ。
「更新はこまめにね」とのご助言を下さった方々。ご親切をムダにしまくりまして、大変失礼をばいたしました。
『入門記』の方、割合進んだ(が、完成しなかった( -"-))ので、そちらも近日中に更新いたします。
が! その前に、昨年の夏、学生YMCAのイベントでやった講演「歌・出会い・イエス」を公開いたします。
なんで1年も経っての公開なのか、と言えば、テープ起こしに1年かかったからです。
なにしろ3時間に及ぶお話でして、話題もあっちこちと飛びまくり、その上しょーもないギャグをちりばめて、
そりゃ1年もかかるよなあ、ってなもんであります。
『入門記』の続きにかぶるお話も満載でありますので、どうかひとつ、よろしく。
感想などは、『入門記』掲示板の方へよろしく。

イヌどもの仲は相変わらず険悪であります。いい加減、仲直りしてくれ。ふんとにもー。

あ、そうそう。「あそこのページ」にフリーの掲示板を追加します。
ま、ひとつよろしく。んふふふふふふ。



2000年5月24日

「あそこのページ」の「あのあたり」を更新

ども。TAKEっす。近頃は高校の教え子たちも見に来るようで、あんまり手抜きができんな〜と焦っております。
のわりには、しょうもない更新のような・・・(^O^) 
んーと、「アニメのコメントが増えた」とだけお伝えしておきましょう。

前回更新の時に、掲示板も新しいサーバーにリンクを貼りなおしました。トップページから入ってください。
ボタンは変わってません。めんどくさいから(^_^;)

浪岡のジャングルと化している教会の敷地の木を数本、教会員のお父さんに頼んで切り倒していただきました。
薪にでもつかってもらおうと思ったのですが、時期外れなのか色よい返事がありません。
とりあえず、薪にもならない枝葉の部分を燃やしているのですが、なんか体中の表面がヒリヒリするほど熱かった。
だいぶ燃え尽きたようですが、書斎の窓から眺める限り、まだオキビが残っておりますなあ。

原因不明なのですが、またもイヌが大喧嘩しまして、ただいま牧師館には血しぶきが飛んでおります(-_-;)
どうも、床下に生息しているネズミの気配に興奮し、とりあえず手近なイヌ同士で戦ってしまうのではないか、と想像しております。
やれやれ。困ったもんじゃ。
がっぷり噛みあっているイヌたちを無理やり引き離したら、腕やら胸やらわき腹やらをガリガリとひっかかれまして、ミミズ腫れになってしまった。
痛いっす。

現在は、一方は怯えきって籠の中に隠れており、もう一方はお仕置きで外に繋がれています。
もういい加減にしろよな、てめーら。


2000年5月23日

むちゃくちゃ久しぶりの更新
  『説教の部屋』を公開

ども。TAKEっす。なんだかほとんど半年ぶりの更新だよ。いやはや。
それなのに、毎週毎週60件以上のヒットがありました。
いや〜、こんなに手抜きなのに、皆さま感謝でございます。

言い訳としてはありきたりだけど、忙しかったんすよ。いや、ホント。「説教のありかた」についてぐちゃぐちゃ
悩む事、ほぼ半年。えらいスランプに陥っておりましたけど、最近になって「あれ? 前ほど説教作成が苦じゃ
ないぞ」と感じ始め、現在取り組んでいる『ヨハネの黙示録』連続講解説教のアップを衝動的に決断したのでした。
まっ、相変わらず毎週徹夜作業だけどさっ。

2000年度に入りまして、なんと非常勤講師の口がもうひとつ与えられ、現在は女子高でも教えております。
環境の激変というか、まあ人並みに仕事をするようになったというか、いささか疲れ気味で毎日がゾンビ〜であります。
つまり「生ける屍」ってヤツだね!

現在は『ヨハネの黙示録』の説教だけですが、だんだん増やしていくからね。
「恐怖の大王」も来なかったことだしさ!!

説教の感想やら批判やらは、牧師館の改装リビングにお願いいたします〜。
あ、アドレスが変わったからね。過去ログ、な〜んも移してないからね。ヨロシク。


1999年12月18日

難産の末、カンボジア訪問記
  『In CAMBODIA』をようやく公開

 ごぶさたであります。前回の更新から3ヶ月も過ぎてしまいました。
 凝り性ゆえ、またぐちゃぐちゃと悩みながらでもありましたが、ようやく公開に漕ぎ付けたのであります。
 あ〜辛かった(-_-;)
 何が辛いってアナタ、まずはご覧下さいませ。モタモタしていたわりには、あんまり中身のない報告で申し訳ないけど。
 ともあれ、貴重な機会を与えてくださった日本YMCA同盟協力部および学生YMCAの皆さま、ありがとうございました。
 ご感想・ご批判・ご指摘など、牧師館の改装リビングにでも書き込んで頂けたら幸いです。
 


1999年9月9日


新しい掲示板『牧師館の改装リビング』を追加

 というわけです。
 今までの掲示板、アップできる字数は少ないし読みにくいしで不満タラタラだったのです。
 nonちゃんに紹介されたフリーの掲示板を使ってみました。書き込みに対してコメントもつけられます。画像の挿入もできるようです。タグも使えます。
 わたしはあんまり掲示板におけるコミュニケーションが得意でないようで(きっとズボラだからだな(^o^;))わたしがいなくても勝手に盛り上がって頂けたら幸いです。
 古い掲示板も当面は残しますので、ま、そちらは緊急連絡用ということで。

 あ、そうそう○木氏からメールが来なくなった途端、不眠が治りました(^_^;)。今はもうひたすら眠くて、とにかく時間があれば寝まくる毎日です。おなかの具合は治ったり戻ったり。でも、クスリを飲むことを忘れがちなのにこうですから、つまり全体的には快方に向かっているということでしょう。ご心配をおかけしました。
 
 昨日は、HYMさんが泊まりに来ました。実は彼とは7年前に一度お会いしていたのですが、その後まったく連絡を取り合ったことがありませんでした。昨年の末に『入門記』掲示板にふらりと現れ、以降とっても濃密なお付き合いをさせていただいています。「秋田に用事があったから、ついでに」って、おいおい青森―秋田は遠いぞ! 元気あるなあ。故障が直ったVAIOくんも一緒でした。浪岡伝道所の聖研に出てくれて、その後しみじみとバーベキューを楽しみ、今日は一緒に八甲田伝道所へ行きました。○木さんのこと、一緒に参加しているMLのこと、それぞれの教会や家族やその他の仲間たちの話をして、さっき青森空港から飛び立ちました。もうそろそろ帰り着けるかな?
 
 また楽しく遊ぼうね。


1999年8月2日

「さようなら、小木さん」を追加
「浪岡伝道史」を追加
「説教」を(思いきり久々に)更新


 退院いたしました。新たな書き込みがないようで、安心しております。メールにて、また掲示板にて励ましのメッセージを下さった皆さま、ありがとうございました。
 各種検査の結果、「尿酸値が若干高い他は特に問題なし。軽い大腸炎が見られたが、既に快方に向かっており、今後は投薬治療のみで良いであろう」との診断です。クスリを飲まないと眠れないのは変わりませんが、逆にいえば薬さえ飲めば眠れますので、暑かろうが寒かろうが関係なく睡眠がとれるのはありがたいことです。

「もうどうでもいい」の観がありますが、一応最後のケジメとして『さようなら、小木さん』をアップしました。入院中にこんなものを書く羽目になるとは思ってませんでしたが、普段なら別の仕事を優先してしまう所、入院しててヒマだったのでやれたのです。
 要するに、「ヒマな方はお読みください」ってなものです。

 浪岡伝道所の会員であり、浪岡町史編纂に携わる平野藤男さんから色々と資料を見せていただき、「浪岡伝道史」のページを作りました。本来ならこういうページを先に充実させるべきですよね(^_^;)。
 テキストばっかりですが、どうぞお読みください。

 ついでに(というのが、既に牧師として間違っているが)、説教も久々に新しいものをアップしました。ご笑読いただけたら幸いです。(「礼拝堂」のページからお入り下さい。)

 津軽も、30℃を越える暑さが続いています。片端から食べ物が悪くなるのには参ります。
 食中毒に気をつけよう。



1999年7月18日
『「小木発言」を巡る議論の記録」を更新

 おひさでございます。
 なんだかとっても疲れたよ、わたしは。
 ご支援下さった皆さん。ありがとうございました。
 そして、ごめんなさい。
 あれ以上小木さんと対話する能力を、神様から授かっていないのです。

 この1件も手伝って、ストレスが胃腸に出てしまったものですから、しばらく入院することになりました。
でも、入院してても掲示板だけは監視するからね。書き込みはドクターストップでやらないけれど、「削除」はやれるからね。

 しかし、とても興味深いことに、本人の意図とは裏腹に「その団体がなぜカルトと呼ばれるのか」「その団体に入ることで、どんな問題が起こるのか」ということが、図らずも一目瞭然となりました。奇跡的にもこれ以上望めないような「資料」を入手したことになります。

 その手の学会に提出してもいいくらいだ。

 今日もまた短いけど、ごめんね。


1999年6月28日
『「小木発言」を巡る議論の記録」を設置

 なんということだ。前回の更新から2ヶ月も過ぎているではないか。なのにアクセス数は2000を突破してしまった。覗いてくださった皆さん、感謝いたします。
 今回のはすごいぞー! 何がすごいって、そりゃ一言では言えません。結構長いですけど、ぜひご覧下さい。

 『TG』の件でがっかりしてたんですが、それだけでなく、今年は「脱会後遺症」がいつもよりも早く、しかも「深く」出てしまいまして、ホームページどころではありませんでした。すみません。

 まだ眠れたり眠れなかったりとアップダウンが激しいですが、じきに元気になると思いますので、よろしく。

 今日は短いけど、許してね。



1999年4月28日
『TG特選』を『TG』に変更

 
 こんにちは。
 授業を経て得た文書は、たとえ執筆者が許可しても学校の許可を得なければ公開するべきではないそうです。許可をもらおうかとも思いましたが、「授業」という枠内では執筆者たちの表現の自由が保証し切れませんので、公開を取りやめ、単なるリンクページにしました。
 どうぞお楽しみ下さい。


1999年3月31日
『竹迫牧師のキリスト教入門記』(仮)を更新

 こんばんは。
 岩手県某所にヒミツの書斎を確保して、ようやく全体の半分まで辿りついたので、公開します。既に発表していた分にもあちこち手を加えてありますので、プリントアウトなさっていた方は、どうぞ全編の比較を試みてください(んーと、とりあえずヒマな方に限ります)。東京のレイちゃん、札幌のM木さん、ご声援ありがとうございます。ついでに、専用掲示板がかなり盛り上がっておりますので、ふるってご参加ください。戸田さん、HYMさん、これからもよろしく。

 なーんか、八戸だの仙台だのとあちこち出張して歩いていたので、ずいぶん疲れたのでありました。この間の移動距離とアルコール摂取量は神のみぞ知る「あなたもわたしも知らない世界」ですね。メールを下さっていたみなさん、ようやく浪岡に帰還いたしましたので、もう少々お待ち下さいね。ちょっとノートパソコンが不調で、しかもアクセスのチャンスがあんまりなかったので、最長2週間も沈黙野郎でいるのでした。
 今回の出張では、生まれて始めて四国へお邪魔しました。高知県に、わたしの同級生が二人も牧師をしているのであります。その一方は、わたしのパソコン・マスターである潮江教会のヤマダ先生であります。何かとお世話になっちゃったので、こっそりここにリンクを貼っておきます。(←こっそり貼るなっちゅーの)
 それにしても、かつおのたたき、ウワサ以上にうまかったっす。あと、「司牡丹」も。何より高知は雪がないのがいいね!
 今回は同時出張だったマキがデジカメを持ってっちゃったので、写真は一切ありません。でも、ヤマダ先生が数枚とってくれたので、それを送ってもらえたらアップできるかもしれない(ひそかな催促である)。

 眠い。その上、腰が痛い。仙台のG牧師には「わたしの経験から言って、君は来年大病するであろう」とフキツな予言をされてしまった。何かと心当たりがありすぎるので、戦々恐々であります。

 さて、腹が減ったな。お茶漬けでも食うか。でも酒がないんだよな。
 料理酒に挑戦するか・・・!
 では、また。


1999年3月9日
ようやく「あのページ」の「あそこ」を更新


 こんばんは。
 前回から1ヶ月も経って、ようやく予告通りのおたくねたをアップ。その道のみなさん、隠しボタンへGO! むちゃくちゃ長くなってしまったが、がんばって読んでください。それほどまでに感動した新製品だったのです。
 それから、「さばげとは何か」について、NONちゃんが想像図を描いてくれました。まあ、その道のシロートにしては、いい線を行っていると思ってください(な〜んちゃって)。
見たい人はこちらをクリック。   →さばげ想像図


1999年2月10日
『TG特選』を更新


 こんばんは。
 夕べは、卒業予定者たちが開催した、禁断の「卒業記念さばげ大会」にお呼ばれしました。「さばげって何?」って人は、そもそもこの話題を共有できません。だから教えてあげない。「ナイトゲーム」とだけ、ヒントをあげておきましょう。
 とりあえず、吹雪が荒れる深夜の津軽を疾走してきました。18歳の彼らに1人混じった31歳のわたしは、開始15分で早くも息が上がり、普段の不摂生ぶりを見事に暴露いたしました。しかあしっ! この道15年のキャリアの重みを発揮して、4回もフラッグアタックを決めました。快挙快挙。目撃した卒業予定者たちは「まさか31歳がダイビングするとは・・・」と一様に絶句しておりました。おかげで全身雪まみれ、一夜明けた今日は全身筋肉痛ですが、数年ぶりのこの興奮。いや〜楽しかった。
 おかげさまで一日アップが遅れましたが、工事中だった『TG特選』の一部を更新しました。今日中に「あのページ」の「あのコーナー」も更新いたします。その道の方、お楽しみに。


1999年2月7日
『TG特選』を公開


 こんばんは。
 ようやく3年生(卒業予定者)の学年末採点が終わりました。600本近いレポート郡と2週間格闘しました。疲れたよ〜。
 このたびアップしたのは、「このまま埋もれるには惜しい」というレポートを、執筆者に無断で公開するページです。わたしからのコメントものっています。手書きで提出されるレポートなので、電子化に時間がかかります。だから、今日のところは1本でご勘弁を。徐々に増やすからね。
 なお、このページは教科担任教師としての権限で製作したものです。著作権は、生徒本人に帰属しますから、無断転載は絶対に禁止します。もしも無断転載が発覚したら、もれなくTAKEの呪いが待っていますから、そのつもりで。


1999年1月23日
『竹迫牧師の近況』に「超能力篇」を追加


 こんばんは。
 今夜は疲れちゃったので、コメントはありません。見ての通りです。
 これからお風呂に入って寝るのです。
 おやすみなさい。


1999年1月20日
『竹迫牧師のキリスト教入門記』(仮)を公開


 ど〜も〜。ごぶさたです。
 「最近、TAKEのページには動きがない」「通信説教はもうやめたのか」とお嘆きのあなた、実はこんな仕事をしておったのでしたぁ。
 専用の掲示板も設置したからね。どんどんご意見を頂きたいと思います。
 書くほうがこれだけしんどいと、きっと読む人もエネルギーが必要でしょうなあ。がんばっていただきたいものです。
 それより。
 書かねば!(←自分)
 そして。
 年末にはISDN回線が通りましたあ! ばんざーい。いや、もう、64Kbpsの速いこと速いこと。絶対損はしませんぜ、そこのだんな。アクセスがこれだけ高速化したら、モデムを使ってアクセスする電話代分ですぐに元が取れますな。
 それから。
 使いこむほどに、LANは便利っす。我が家にパソコン持参で遊びに来る人は、ちゃんとFDDが動くようにしておいてね。LANカードを使えるように設定しますからさ。まあ、青森にまでパソコンをかついで行かなきゃ使えないLANというのも問題はあるが・・・。
 さてさて。明日も授業だ。がんばるぞ。
 んでは、また。


1998年12月12日
「竹迫牧師の近況」に「風見鶏篇」を追加


 TAKEです。ようやく学期末採点が終わったので、抜け殻になりました。もうそろそろ魂が戻ってきてもよさそうですが、なんか無気力です。そんなわけで、説教のページも更新していない。最近近況のページばっかりいじってるなあ。しかも、前回の更新から9日も経ってしまった。うおー。
 だ・け・ど。ようやく家庭内LANを実現いたしました。超便利っす。単なるハブではなくてダイアルアップルータも導入しました。ひひ。つまり、これらは回線のISDN化への布石なのです。うひゃー。
 だんだん快適なインターネットへのアクセス環境が整ってきましたなあ。しかし、環境さえ整えばいいページが作れるわけじゃないんだが。だんだん何のためのホームページなんだか見えなくなってきたな。
 というわけで、「あおもり いのちの電話」のページを準備中です。八甲田伝道所の方が先のような気もしますが、主任牧師との打ち合わせが必要だなと思ってますので、そっちはもう少し時間がかかる。いのちの電話のほうは、事務局員から資料や写真をお借りできたので、実現が早いでしょう。わたしも何かと関わっているボランティア団体です。応援、よろしく。
 さてさて。クリスマスの時期に入ってきましたなあ。街中がとっても華やか。華やかなのは嫌いじゃないんですが、最近は年を追うごとに居心地がわるくなっています。いずれそのことも、どっかに書いとくからね。
 明日は朝8時に出発して、今年最後の結婚式の司式をしてきます。起きられるかなあ・・・。


1998年12月3日
「竹迫牧師の近況」に「除雪篇」を追加
「みにい」の画像を更新
そして「あのページ」に「それ」を追加

 どうも、TAKEっす。除雪篇、シャレじゃないっす。マジっす。よろしく。
 期末試験の時期になっちまった。しかも今回、採点の締め切りは1週間しかない。にもかかわらず、ぶっ続けで14時間も寝てしまいましたとさ。うおー、普段がいそがしすぎるんだよー。
 「みにい」はわたしが撮影したものではありませんが、かわいかったので採用。それから「あのページ」に未だに辿りつけない人もいるみたいですが、「TAKE’s ROOM」隠しボタンがあるから探してみてね。
 ほんとはホームページなんぞいじっとる場合ではないが、「楽しみにしています」と面と向かって言われちゃぁ、ねぇアナタ。応援ありがとう、メグミちゃん。がんばるからね。


1998年11月28日
「竹迫牧師の灰皿」を廃止

 この日、以下のメールを受け取りました。本人の承諾を得ての転載ではありませんが、元々学生YMCAのホームページの掲示板に書かれていたものですし、内容から見て転載は構わないであろうと判断したので、名前だけイニシアルにして以下にアップします。

====(ここから)
竹迫牧師の灰皿に異議あり

 私は京大YのOPのSという内科医です。呼吸器系の患者さんを担当することが多いのですが、肺癌、肺気腫とたばこの害で病気になっている方がとても多く、禁煙の必要性を痛感しています。とりわけて、青少年に対する禁煙指導により病気を予防する必要性を感じています。WHO(世界保健機構)も1996年「世界中で10秒に1人喫煙による死者が出ている」として喫煙をコントロールする世界的緊急対策の必要を警告しています。

 私自身も京大Yの寮生活時代に先輩がふかすたばこの煙に「大人」を感じてしまって、吸い初めて以来、たばこをやめるのに苦労した経験があります。 「たばこを吸うのはかっこいい」というたばこ会社の広告やたばこを良しとする文化に乗せられてしまい、大金をたばこ会社に貢ぎ、自分の健康を損ない周囲の人間に受動喫煙を強いて健康被害の原因となってしまったわけです。

 つまり、「たばこを吸うのはかっこ悪い」「他人の前でたばこを吸うのは、他人の前でおならをするより悪質である」というという
あたりまえの文化を、みんなが共有していく必要があると思います。

 牧師や教師という多くの人(特に青少年)の生き方に影響を与える方は、ぜひこのあたりまえの価値観「たばこは害である」を基本にしていただきたいのです。また「たばこをやめられないのは依存症であり、病気である」「病気=依存症は治療する必要がある」というのが医療の世界でのコンセンサスになりつつあります。

 もしたばこがやめられないのであれば、それは依存症の患者であるということを意味していますから、今度はその病気と
自分がどうつきあうかを他人に発信していただきたいと思います。

 つまり、「たばこと自分の関係」「たばこを吸うのは悪いことである」ということを明らかにせず、ただ単に灰皿の絵だけをネットに流すのはやめていただきたい。そして ぜひ たばこの害との闘いをあなたの周りの青少年とともに闘い抜いていただきたい。

 そうでなければ、あなたの言っている他のことが青少年の心にひびけばひびくほど、ライフスタイルとしてのたばこを青少年
に広めてしまう危険が大きくなるのです。

 これが、日々喘息や肺気腫や肺癌、狭心症になっていくたばこ依存症患者に、「何とかたばこをやめよう」と説得を繰り返し、
ほとんど徒労に終わるが、まれに禁煙してくれる人がいてうれしいという日常を送る臨床医からのお願いです。

竹迫牧師へのメールをどこに出して良いのかわからず、ここに
出しました。

=====(ここまで)
これについて色々と考え、灰皿のページを廃止すると共に、以下の返事を送りました。
=====(ここから)

こんにちは。はじめまして。竹迫です。

今回は貴重なご意見をありがとうございました。ただちに「灰皿」のページを削除すると共に、学生YMCAの掲示板に以下の書きこみをいたしました。更なるご意見がありましたら、掲示板に書きこみをされた旨、お手数ですがこちらにもメールにて通知を頂けたら幸いです。

非公開でも結構です。

それでは。

-----(ここから)

TAKEです。Sさん、意外な反響でしたが、ありがとうございました。

まず「灰皿」のページの件ですが、これは公開をとりやめました。理由は以下の3点によります。

1 内容に積極的な意味があまり見られない。
2 頻繁な更新あってこそのアイディアだったのに、諸事情であまりに更新の頻度が低いままにとどまっている。
3 喫煙行為は他者に不快感を与える場合があり(しかもその機会は増えており)、ネット上に灰皿の写真を掲載することは、ネッ上での迷惑行為になり得る。

特に3の理由については、今回ご指摘を頂いて初めて考えたことでした。2については、ここ数日考えていたことでしたが、今回のご指摘を受けて3を考えるに至り、取りやめに結びつく契機となりました。

ただし、この決断は、Sさんの言われる「今度はその病気と自分がどうつきあうかを他人に発信」するためではないことをお断りしておきます。わたしは「たばこを吸うのはかっこいい」という考えを持っていませんが、同時に「たばこを吸うのはかっこ悪い」「他人の前でたばこを吸うのは、他人の前でおならをするより悪質である」とも考えていないからです。

そうした価値観の存在をアタマから否定したりはしません(不快感もまたコントロールしにくい感情だと思うので)し、Sさんのご意見も医師としての経験に裏付けられた正当性のあるものと了解していますが、たとえば喫煙行為がひとつの依存症(病気)であるとしても、どんな病気でもそれを「恥ずかしいもの」ととらえたくない、というのがわたしの価値観でもあります。

わたしは牧師ですが、キリスト教の有意義性・有価値性を訴え、個人的にもできることなら同じ信仰を持つ人を増やしたいと考えており、周囲からもそれを期待され要求される立場にあります。信仰を持たないがゆえに破滅的な人生を歩んでいる、としか思えない人々との出会いがあり、個別のケースによっては苛立ちや怒りを感じることさえあります。それでも、キリスト教信仰の受け入れを強要する事はしないように心がけています(意識せずにしてしまっていることはあるかもしれません)。カルト入信体験から、自分にとってどんなに価値のあるものでも、またどれだけ善意からの発想であっても、ひとつの価値観で人々をまとめあげようという発想には根源的な嫌悪感を持ってしまうようになったからです。

Sさんのご意見は、そのような視点から批判を受けるべきものではないかも知れません。医師としての職務に忠実である以上、喫煙行為を助長するような振る舞いに沈黙できないしするべきではない、という考えに基づいてのことなのだろうと思います。

強くお断りしておきますが、そうした熱心さに対しては敬意を表するものです。

しかし、仮にわたしが「多くの人(特に青少年)の生き方に影響を与える方」だとしても、それをもって「『たばこは害である』を基本にしていただきたい」あるいは「今度はその病気と自分がどうつきあうかを他人に発信していただきたい」という要請にはお応えしかねます。「あたりまえの価値観」を流布することが牧師や教師の第1の務めであるとは考えられないからです。

「あなたの言っている他のことが青少年の心にひびけばひびくほど」というお言葉は、わたしにとって嬉しい買かぶりですが、実際にはそれほど影響力があるとは言えないように思います。また、もし影響力があるとして(牧師や教師という職務上は影響力の行使を目指すべきかもしれませんが)、わたしが共にありたいと願うのは、いま既に喫煙者となっている人々であり、「タバコを吸うのはかっこいい」という価値観に「毒されている」人々であり、「やめたいのにやめられない」と落ちこんでいる人々です。そして、なぜ共にありたいかというと、それは「タバコをやめさせるため」ではありません。これまでのキリスト教的価値観からは「悪癖を持つ人」とされてきた人々であり、自分が持つ「かっこよさ」の価値観を客観視できないかあるいは「悪ぶる」ことにアイデンティティを見出している人々であり、自分で自分を傷付けている人々だからです。

わたし自身はそうした考えの持ち主であることをご了承ください。Sさんのお働きが神様に祝福されたものとなることをお祈りしています。

-----(ここまで)


1998年11月15日
説教を更新

灰皿を更新

 どうも。毎度こんばんは。今夜は説教作成からの現実逃避の成果です。明日の(おっと、もう今日だな)の礼拝説教を作ってる最中に、「そう言えばこの前の説教をアップしてない」と気付いてしまったのでした。
 なーに、なんだっていいのです。現実逃避の口実は。わはは。作業中の仕事とか、読みかけの雑誌とか、しばらく聞いてないCDとか、口実には事欠かない環境なのだった。だんだん腹も減ってきたし。
 しかしまあ、毎週毎週よく徹夜できるねえ。我ながら呆れます。不思議と今夜は眠くないのだった。
 さっき、友人の牧師が開いているサイトを覗いたのですが、この秋に冠水に見まわれてからの影響が、いまでも色濃く残る様子を知って心を痛めております。かたっぽでああやって苦しんでるのに、こちらは「秘密基地」ですよ。
 あーあ。
 でも、代わってあげるわけにもいかないことだけど。せめて、もっと笑えるページを目指そう。
 やっぱり、努力の方向に問題があるのかなあ。ちょっと自信なくしちゃったよ。


1998年11月14日
「トップページ」を大幅に変更
 

 こんばんわ。いまは夜中の2時過ぎです。仕事もせんと、ホームページをいじってるのでありました。
 お気づきの通り、トップページを全面的に変えました。どうも全体のバランスが「教会のページ」というよりは「タケサコのページ」と言った方がふさわしいように思うからです。とりあえず冗談ページばかり増えて、教会のページが少なすぎるのが自分のコンテンツのありかたにふさわしいらしい、といまさらながら気付いたのでありました。この先もだんだんページの組みかえをしていくことになるでしょう。特に、評判のあんまりよくなかった隠しボタンを改めるつもりでおります。つまり、よりダイタンに「タケサコのページ」を前面に押し出して行く予定です。なんか思いっきりスタイリッシュになりましたが、そっちの方が自分らしいのであった(←自分で言うのがそもそもダイタン)。
 でも、この先「義塾のページ」とか「いのちの電話のページ」とかつなげて行くには、この方が矛盾ないような気がするのです。確かに教会の委託を受けての活動ですが、直接教会との関わりがあるともいいがたいから。
 ま、そんなわけで、これからもよろしく。またね〜。


1998年11月12日
「竹迫牧師の近況」(秘密基地篇)を追加

 どーもー。TAKEでーす。またまたやってしまいました〜。学校に来るたびに妙なネタを思いついてしまいます。よっぽど授業が嫌いなんだね。こらこら、キミたち授業中は寝てちゃダメだよ。うらやましくなるじゃないか。
 ここ2週間、なぜだかわからないけれど猛烈に眠いのです。どちらかといえば不眠気味なわたしですので、眠れないよりは眠れる方が幸せなのですが、日常生活に支障をきたすほど眠いのも困るのです。そんなわけで、住みかに帰りつくと居眠り。メシ食って居眠り。パソコンの前で居眠り。クルマを運転していて居眠り。もー末期的。
 さてさて。わたしのインターネット&電子メールの初体験は、セガ・サターンというゲーム機によるものでした。このセガ・サターン、最初は『バーチャ・コップ』という射的ゲームの専用機に買ってしまったのです。夕べ久々にプレイしてみましたが、やっぱり良く出来たゲームですね。ゲーセンで見かけて以来、一発でほれ込んで、最初はゲーセン用の筐体を買っちまおうかと思ったくらいです。ところが1台70万円だとかで「どうしようかなあ」と迷っていた(←迷うなよ)ところ、セガ・サターンに移植が決定。ソフト込みで3万円ちょっとのセガ・サターンと1台70万円のゲーセン用筐体とじゃあ、ビンボーな牧師に選択の余地はありませんね。
 ところが、原因は不明ですが、じわじわと他のゲームソフトが増えて行ったのです。いや、原因不明と言っても自分で買ってるから増えるわけですが、『バーチャ・コップ』専用機だったはずのセガ・サターンは、時に『バーチャ・ファイター』マシンになり『ボンバーマン』マシンになったりしていたのでした。
 その頃、「セガ・サターンネットワーク構想」を掲げて発売されたのが、専用モデムやアクセスソフトを含む「通信キット」だったのでした。同居人がパートタイムスタッフとして働いている学生YMCAでメーリングリストが始まったこともあり、電子メールがなにものなのかさえ知らないまま、ニフティに入会してネットワークに参入したのでありました。
 が、所詮は29800円の家庭用ゲーム機。ワープロ機能はバカすぎるし、14.4kbpsのモデムは遅すぎるし、記憶容量はぜんぜんないしで、初心者ながら「使い物にならん」と悟ってしまうほどのショボさです。当時使っていた東芝ルポというワープロが通信対応だったので、別途モデムを購入し、本格的にパソ通ライフがスタートを切ったのであります。
 その後セガ・サターンがどうなったかと言えば、『バーチャロン』は出るは『エネミー・ゼロ』は出るは『ポリスノーツ』は出るはで、ますます充実したゲームマシンになりました。とさ。
 ところが、であります。ほぼ同等の性能を誇るソニーのプレイステーションに売り上げで惨敗したセガは、セガ・サターンに見切りをつけ、新たに「ドリーム・キャスト」というゲーム機を発表しました。このドリーム・キャスト、カタログ的スペックで見る限り「こんなものが家庭用にされる時代なのか!」と驚愕するような高性能を備えています。33.6kbpsのモデムを初めから装備し、容量1GBのディスクを走らせ、グラフィックからサウンドから手のつけられないデラックスぶり。しかもそれが3万円を切るというのだから、いわゆるフツーのパソコンすらかすんでしまいそうな錯覚を覚えます。
 許せんのは、セガ・サターンで発売予定だったソフトが、相次いでドリーム・キャストに変更されたり、発売が延期されたりしていることです。特にカプコン! 『バイオ・ハザード2』の発売中止とはどういう了見だ! 悔しさのあまり夜も眠れないところ、先述の特殊事情で昼も眠ってしまう有様です。
 町のゲーム屋さんを覗いても、セガのコーナーはどんどん品数が減ってさびしい限りです。今までは『バーチャ・ファイター2』で負けた悔しさに任せてコントローラーをぶっこわしていたわたしも、これからは間違いなく品薄になるであろう周辺機器を大切にしなければなりません(←いや、それがフツーなのだが)。
 というわけで、ドリーム・キャスト。売れてくれなければセガ・サターンが浮かばれません。くそー、カタキを応援しなければならないとは。
 話は変わりますが、津軽はいま雪まみれです。とっても寒いです。冬だなー。


1998年11月4日
「竹迫牧師の近況」(ウルトラマン篇)を追加

 ちわっす。またもやおバカなネタを考え付いてしまいました。こうやって並べてみると、我ながら「あほ」の一言しか浮かびませんです。でも、写真を加工しながら自分で大笑いしてしまいました。前々から『地獄先生ぬ〜べ〜』みたいのが教師の理想像ではないか、とぼんやり考えていたのですが、今回の更新で夢がかなってよかったです。(←「あほ」の上塗り)
 今日は東奥義塾高校で授業だったのですが、同僚のタカヒロッチ・キムラーノフ教諭(ロシア系。だから世界史の教師)が、「300円でこんなにすごいものを売ってましたよぉ」と、(株)バンダイ製の『ザ・仮面ライダー』をプレゼントしてくれました。これは、たとえばスーパーなどのお菓子コーナーにぶらさがっている、やけにみみっちいラムネのオマケとして特大のおもちゃがついているような、まあお菓子だかおもちゃだか迷うような商品の一種なのですが、オマケのはずの仮面ライダーが異様にリアルだったりするのです。プロポーションが日本人的であるばかりか、コスチュームの皺(しわ)まで表現してあったりして、その上きちんと「旧1号」と断り書きがついているあたり、なかなかにおたく心をくすぐるフィギュアなのでした。わたしも思わず「旧2号」や「V3」が欲しくなりましたもんね。特にマスクの眼の部分の光り方なんか、ちょっとのけぞってしまうくらいです。
 最近はCMなどでも昔のテレビ番組のキャラクターを使う傾向が強く見られますが、当時の子どもたちが今やお父さん・お母さんになり、懐かしさの余り子どもに買ってやるフリして自分のものにしてしまうことを当て込んだ商品なのでしょう。当時発売されていたおもちゃは、今から見ればお世辞にもかっこいいと言えるものは少なかったのですが、それでもそうしたキャラクター商品のすべてが欲しいと熱望しつつ果たせなかった恨みが、20年を経て再燃しているようにも思います。
 もうひとつ見逃せないのは、今は当時ほどのカリスマ性を備えたキャラクターが創造されにくい時代だという点でしょう。現代のヒーローたちのリアルさ加減は当時とは比較にならないほど向上していますが、どれも当時ほどのインパクトを感じさせることは少ないように感じます。これは、とりもなおさず「新しい物語」が生まれないというひとつの貧困を示す現象なのではないでしょうか。
 ま、そういうカタい話は置いといて、身長12センチのヒーローにひとりニヤけるわたくしでありました。
 今夜は聖書研究祈祷会の日だったのですが、受持ちのクラスの生徒が小論文修行のためにやってきたので、聖書朗読とお祈りだけしてあとは作文の指導をしておりました。この生徒、お父さんが仏教の僧侶であり、自分も28代目の後継者となるべく仏教大学を目指しているのでありました。坊さんを育てる牧師って、ちょっとかっこいいかなあ、と自己満足に浸っているところであります。
 彼は11時31分発の終電車で帰ったのですが、発射時刻に間に合わせるために駅に向かってクルマを飛ばしていたら、警官に停められてしまいました。アルコールチェックのためでしたが、スピード取締りだったらかなりヤバかったです。発射時刻まで一分を切っていたので、その場でクルマから降ろしてダッシュさせたら、「あ、遅れそうだったのね」と警官に同情されてしまいました。
 うーん。一件落着。
 この場合、「神の守り」と言えばいいのか、「仏のご加護」と言えばいいのか・・・。


1998年11月3日
通信説教を2週分アップ(「先週の説教」も注目せよ)
そして「あのページ」に「あれ」を追加
やっぱり読みにくかったこのページの壁紙を変更
当然「灰皿」は不定期更新中!

 やっ、ごぶさたしております。今日は文化の日とかで高校が休みだったものですから、またもやページの更新にいそしんでおります。不定期な更新の割にはヒット数もじりじり伸びて、さっき確認したら181番目となりました。嬉しい限りですね。しかし、こんなところまでじっくり読んでくださる方がいるのか、だんだん不安になってきたな。
 ドトーの永眠者記念礼拝が終わったとたん、カゼをひいてしまいました。せっかくの休みなのにぃー、とページをいじくるわたし。
 電子メール版通信説教も、なかなか原稿が完成せずにのびのびになってしまっていたので、この機会に、と完成させてしまいました。なんとなく関連ありそうな写真(主観!)もちらちらと。説教のページなのに、なぜか笑えてしまうんだな。
 「あのページ」に「あれ」も追加しておきました。おたくの皆さん、よろしく。
 ずっとおあずけのリンク集、とうとうあきらめて竹佐古真希の作ったヤツをごっそりとパクる覚悟を固めつつあります。だってめんどくさいんだも〜ん。結構共通してるしね。
 さて、明日は高校で授業だ。その様子を伝えるページも構想中。お楽しみに。


1998年10月27日
「竹迫牧師の灰皿」のページを追加
あまりにも読みにくかったこのページのフォントを拡大

 どーも〜、おはようございますぅ。今日は東奥義塾高校で更新作業でした。昨夜、就寝直前になって思いつき、「灰皿」などというおバカなページをまたもや追加してしまいました。「どこそこの大学のサイトには、コーヒーサーバーのコーヒーの量を実況中継するページがある」とか、「アクセスカウンターだけがあるページを見つけた。今何番か気になってついついアクセスしてしまう」などの情報ををヒントに考案いたしました。デジカメも買ったことだし、1時間ごとに更新するぞー!と気合を入れていたのですが、なんと同居人の竹佐古真希が出張先にデジカメを持ってっちゃったので、いきなり挫折したのでありました。悲しすぎる。でも、今週の末頃から、このページだけは続々更新するからね〜。
 それから、自分でも「読みにくいなー」と思っていたこのページ『牧師館の書斎』も、フォントを倍以上に拡大しました。ノートPCの画面だといまいち読みにくいので、壁紙も変更したいところですが、ブラウン館のモニタで見るとどのように見えるのかいまひとつ自信がないので、しばらくこのままにいたします。それとも、壁紙なんかさっさとやめて、真っ白の背景にした方がいいかなあ? うーん、検討課題だ。
 さてさて。電子メールで献金(NIFTY−serveのアクセスギフト)を送ってくださる(しかも匿名で)という奇特な方がおられるのですが、さっき過去メールの整理をしていて、献金を下さっていたのにこちらが気づかずにいたという大失態を演じていたことを発見したのでした。うわぁぁ、恥ずかしい。しかもその「アクセスギフトは、通知を受け取って2週間以内に受領手続きを済ませないと無効になってしまうのに、もうすでに20日が過ぎていたのだった。
 うーん、言葉もありません。ごめんなさい。反省。冗談ページばっかり作っている場合ではなかったね。これをバネに、「教会のページ」の充実を誓うTAKEでありました。(最近は通信説教も遅れがちなんだよね〜)
 さてさて、それではまた授業に戻りますか。おーい、高校生ども。カルトにだけは気をつけろな。


1998年10月26日
「竹迫牧師の通信説教」(10月18日分)をようやくアップ
「竹迫牧師の近況」(戸沢村篇・クローン篇)を追加
デジカメ入手につきあちこちに写真を追加

 出張だのなんだのと出歩いている間に、前回の更新から10日も経過してしまった。ノートPCは携帯していたのに、「これ」と思うところに電話線がなかったり、ノートPCに入れていなかったフォントを使ったページが文字化けしたりと散々だったのだ。おまけに、筐体の寿命なのか、キーボードが浮いてきて、特に重要な「I」と「O」が時々入力できないんだよね。おれってローマ字入力の人だからさあ。だからYMCA同盟のパソコンからキーボードだけむしりとって使っちゃったりしてたんだよねー。うああ、すんげー迷惑なやつ。浪岡に帰着したらしたで何かと忙しく、ヒマになったらなったで不足しきっている睡眠を取り返すのに忙しい。そんなこんなで10日間。ホームページを持つということは、それだけで気合の入った日常を過ごさなければならないということなのだった。くそー。
 竹迫牧師の近況」にようやく以前から考えていた「UFOネタ」と「クローンネタ」をアップ。Windowsの「ペイント」よりも、ADOBEの「フォトデラックス」の方が何かと遊べることを発見したのであった。まあ、「ペイント」の方が、出来上がりがウソ臭くて好みなのだが。でもまあ、楽しければいいでしょう、と。でも、「心霊写真ネタ」はマジに信じるヤツがいて困っちゃいましたよ。「ボク、夕べ金縛りにあったんです。なんとかなりませんか?」って、おまえ相談窓口まちがえてるよ。どうしてもと言うのなら、まずは浪岡伝道所の信徒になりなさい(←あれぇっ、これって霊感商法?)。

 東京に行って知り合いにこのホームページを見せまくってたら(だってノートPC携帯だも〜ん)、「あれ? カルト対策のページは?」 「会堂の写真ないの?」 「教会員の紹介は?」と突っ込まれる突っ込まれる・・・。ああ、なんとかしなきゃな。
 隔週土曜日の会堂清掃をサボって35万画素のデジカメを1万円で入手した。行き付けのパソコンショップで、カード会員対象のセールスをやってたのだった。「5台限定」のチラシに目がくらみ、「急用にて外出中」の置手紙を残して店に急行。清掃は教会員のMさんとKさんにお任せしてしまったのであった。うおー、極道だ。そのおかげで、あちこちに写真をちりばめた。中には、画像のクオリティを落としたくないばかりにダウンロードが遅くなるほどサイズのでかいものもありますが、まあ許してちょ。そのかわり、単なるオタク的なこだわりに過ぎませんから、「こんな写真いらん!」という人はどんどん飛ばしてくださいね。でもって後悔してください。
 これからは、礼拝の様子だとか宿泊したお客さんだとか、どんどん写真を載せちゃうからな。覚悟せ〜よ。

 メールだの電話だので「ホームページ見ました! んぷぷぷ〜っ」という反応を頂くことが多くなりました。感謝感謝。 でも、
「牧師館のリビング」にも書きこんでね。 そう言えば、なんのかんのといいながら、アクセス数が100を超えちゃったんだよね。いつのまにか。ちゃっかり100番目は自分でゲットしたが(←姑息)。おお、そんなに見てくれたのかい?と幸せな気分です。がんばって「工事中」を解消しなきゃね。
 とか言いつつ、実は全ページの大幅なリニューアルを考えています。というのは、どうも容量のバランスから見て、「浪岡伝道所のページ」というより「竹迫 之のページ」になっちゃってるから。それなら、といっそ開き直って『風よ吹け』は「竹迫 之のサイト」のなかの一部に格下げだッ!と思ったりしたわけです。今のままでは羊頭狗肉というか看板に偽りありというか、「教会の仕事のふりをして遊んでるな〜っ?」の自分ツッコミに耐えられませんのでね。ああ、我ながら気が小さいことだなあ!
 またまた東京でのお話になりますが、通信信徒の横山由利亜さんと久々にナマでご対面し、岡田斗司夫の『国際おたく大学』と『東大オタキングゼミ』をプレゼントされちゃいました。いやあ、とっても嬉しいね! ソッコーで読んじゃいました! そこで得た糧は、どんどんホームページに反映させるからね。
 さてさて、そろそろ腹が減ってきたな。なんか食べなきゃ・・・。アタマもくらくらしてきたよ〜


1998年10月16日
「竹迫牧師の通信説教」(10月11日分)完全版を掲載

 週はずっとホームページ公開へ向けて作業していたため、なかなか通信説教を発信できなかった。ホームページにもハンパな形で掲載してしまっていたが、ようやく完成したものをアップできた。よかったよかった。ファクスで受信する人と電子メールで受信する人の両方に同時発信するため、余り夜遅くには発信できない(だって、ファクスと電話を1本の回線で共用している人がほとんどだもん)。そこで先にホームページにアップしてしまうのだった。いままでの説教も、こっそりYMCAのページにリンクをはったので、さっと見に行って頂けます。
 じわじわとアクセスしてくれる人が増えています。感謝感謝。今回の通信説教ではホームページ公開のおしらせものっけたので、あるいはもう少し増えるかもね。竹佐古真希なんて、もう300件近いアクセスがあるんだぜぇ。
 でもなあ。教会の公式ホームページとしてはまだまだ力不足だ。もう少し教会らしい記事を載せるべきだよね。これでは竹迫 之の個人ページだ(実際その通りなんだが)。もうちょと写真を増やして、しかもいろいろ遊んでみたいなあと思ってます。良く考えたら、会堂の写真もないんだよなあ・・・。

 
竹迫牧師の近況も、もう少し中身を増やして遊んでみたいねえ。なにしろネタはたくさんあるのだが、そのどれもが非常に手間がかかるものなのだった。やれやれ。オタクにホームページを造らせてはなりません。
 
今日は、ニコラス・ケイジ主演の『コン・エアー』を半分だけ観ました。明日がビデオの返却期限なのですが、来週の月曜日から出張なので、高校の授業を自習にしなければならないのを思いだしたので、ビデオ鑑賞を中断して学校に行ってきたのでした。でも、通信説教の完成を先にしちゃったので、自習課題はできなかった。明日は「あおもり いのちの電話」の会合があるので、ついでに学校に寄って作ろうと思います。

 
おお、そうだ! いのちの電話のページも必要だな。東奥義塾高校のページもだ。10MBの容量中まだ1MBも使ってないから、どんどん作れるね、これは。でも、明日は説教を作らなきゃいかんからね、来週もほとんど出張でつぶれるし、もうちょっと先の話になるかな? 
 なーんちゃって、出張先にもパソコンを持ってくよ〜ん。しばらくの間は毎日更新だ!

 
あ、そうそう、「牧師館」のページにある「ゲストブック」は、いわゆるホームページ上の掲示板ではありませんからお間違えのないように。これは、実際に浪岡伝道所を訪問した人たちに書いてもらっている「ゲストブック」からの転載なのです(しかも竹佐古真希のページにある)。アクセスしてくださった皆さんが書きこみをするためのゲストブックは、「牧師館のリビング」ですからね!(←まぎらわしいネーミング。つまりは名前を変えればいいのかな? まあ、明日だな・・・)。
 
それじゃ、ビールでも飲みながらビデオの続きを観るとしよう。


1998年10月15日
「竹迫牧師のビデオライブラリ」の壁紙を変更
竹迫牧師のプロフィール」のページを追加


 同居人(竹佐古真希)から「ビデオライブラリの文字が読みにくい」との指摘があったので、壁紙を変更した。確かに赤地に黄色の文字はアップ作業をしているときから目がチラチラしていたものだった。で、変更を試みたのだがいかがでしょうか? 液晶画面のノートPCで作っていたデータだったのですが、ブラウン管モニターだと全然印象が違いますよね。反対色を使ったページレイアウトは、液晶画面でははっきりしていて見やすかったのですが、ブラウン管では頭痛の元ですな。で、変更ついでに、以前から書いておきたかった『マーズ・アタック!』についての文章を追加しておきました。
 
ところで今日は、東奥義塾高校のタッツォ・キムラーニ教諭(ラテン系の名前なのになぜか日本語教師をしている。はっ、ひょっとしたら日本人なのか!?)から、『大熱言』というマンガを借りて読んでいます。『炎の転校生』や『燃えよ!ペン』などを発表している島本和彦氏の作品ですが、いやー相変わらず熱いですねえ。「だめでもともとではない! 『ダメでもっともっと』だ!」なんて、読んでるほうが泣けてくる。見習わなければ。「一難片付けてもう一難!」とかね
 
うおーっ、なんかわからんが、やる気が出てきたッス!
 竹佐古真希が「あんまりだ」と嘆いた『浪岡伝道所の歴史』も若干更新した。もっと浪岡伝道所の草創期を掘り起こさなければ。取材だ取材だ! 聞き取り調査から始めなきゃね。

 メールのページも、ニフティサーブが提供する専用ソフトが必要らしいことが判明。よーし、トライするぜ。
 掲示板を見たら、何人かの書きこみを発見。山田さん、横山さん、そして竹佐古さん。ありがとうございました。
 さてさて、さらに「竹迫牧師のプロフィール」を追加。おもしろおかしく読んでいただけたら幸いです。




1998年10月14日  
竹迫牧師のホームページ『風よ吹け』を初公開!
 

 
 先にページを公開した同居人(竹佐古真希)の知恵を借りつつ、これまで作りためていたページデータを大幅に修正しての公開。でも、コンテンツは今まで練りつづけていたから、たぶん発展は早いだろう、などと皮算用。
 
おーい、東奥義塾の高校生諸君。見てるかーい? やっとできたよ〜。これからもびしばし更新だ!
 しかしホームページ制作というのは、思った以上にハマるもんだねえ。これから聖書研究祈祷会があるというのになあ。

 ところで、近所のビデオ屋から借りてきた『陰謀のセオリー』はなかなか面白い映画だった。というより、最近観た映画の中ではピカイチでしたな(いずれこのサイトのどこかに改めて書こうと思っています)。今日は定期試験で学校がなかったものだから、昼近くに起床して、パスタを茹でて(だけど炒めすぎてほとんど焼きソバだった)、それを食べながら観たのでした。栄養と元気を詰め込んで、今回のアップに臨んだわけでした。
 さてさて、このサイトのどこかに埋め込まれた隠しボタンで、わたしのプライベートルームに行ける仕掛けを考案中です。そちらには竹迫牧師の「おたくネタ」を満載の予定。ヒントは「牧師館」だ!(ダイアルアップの人は、いったん接続を切ってから探してみてね)。完成したら、このページで発表するとしよう。