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『竹迫牧師のキリスト教入門記』(仮) もくじ
池袋駅前で、Aという青年に声をかけられたのは、高校三年の終わりころだった。担任教師からは「お前にはかなり難しいぞ」と言われていた日本大学芸術学部の入学試験に挑戦した当日のことだ。
試験が終わって、かなり散々な結果だったに違いない成績のことをぼんやりと考えながら(言い忘れたが、学校の成績は悪い方だった。勉強しないで映画のことばかり考えていたのだから、当たり前だ)、池袋の駅前を冷やかして歩いていた。日本大学芸術学部がある江古田から池袋までは、電車で三駅乗ったほどの距離なのだ。
「こんにちわ」と横から声をかけられたので、思わず立ち止まった。メガネをかけて髪を七三分けにした青年が立っていた。立ち止まったのは、「誰か知り合いだったかな」と思ったからだ。見も知らぬ人に親しげに声をかけられるということが、全く初めての体験だった。彼が、後になって「池袋ライフアカデミー(略称 ILA)というサークルに所属する者だ」と自己紹介したので、ようやく初対面だと分かったくらいだった。
これが、T協会お得意の「街頭アンケート」だったのだ。実は、アンケート用紙を片手に持って道行く人に声をかけまくっている連中がいることは、以前から知っていた。「大体はキャッチセールスだよ」ということを聞かされてもいた。だから、そういう人に声をかけられたら、無視して歩くことにしていたのだ。
だが、目の前に立ったAは、別に商売っ気を感じさせる愛想笑いを浮かべていたわけではなかったし、アンケート用紙も持っていなかった。だから、しばらくは彼もアンケート活動をしている連中の一人だとは気づかなかった。
Aは、何のためにおれに声をかけてきたのか、という目的をなかなか話さなかったし、おれもどこで会った人なのかを思い出せなかった(思い出せるはずはなかった)ので、次第にいらいらしながら彼の質問に答えた。今思えば、「狭山市に住んでいる」だとか「さっき入試が終わった」だとか「将来は映画監督になりたいと思っている」だとか、ついさっき初めて会ったばかりのAに語って聞かせる義理はなかったはずのだ。しかしその時のおれは、まだAがどこかで会ったことのある人物だとばかり思っていた。そしてこのときは、ヒマな時間が充分にあって、しかも試験の出来を親に訊かれるのが億劫な気分でもあった。だから、一五分ほどダラダラとAの質問に答えていたのだった。
それでも、Aが「霊界に興味はありますか?」と訊いてきたときには、思わず「はい」と答えてしまっていた。というのは、それまでのおれは、ずいぶんたくさんの「霊体験」をしていたからだ。
特に霊体験が激しかったのは、高校に入ってからだった。誰もいない教室から、にゅっと腕が飛び出している。屋上から誰かが飛び降りてくる。空中を白いものがふわふわと飛んでいる。そんな、おれ以外の人間には見えないものを、始終目撃していたのだった。
最近、オカルト現象の研究で名高い大学教授の講演を聴いたのだが、片目が見えないと「代償性虚像」という現象が起こるのだそうである。つまり、実際には存在しないものが見えるような錯覚を起こすというのだ。ある女性は、三歳の時に左目を患い、その後この「代償性虚像」に至って「霊能少女」と騒がれるようになったという。彼女は後に、霊能者としてテレビによく登場するような占い師になった。その話を聞いて、「なるほど、おれもそうだったのか」と、ようやく納得できた。現在では、この「代償性虚像」は滅多に起こらなくなった。本当にそうした体験が錯覚だったのか、それとも実はおれの体験が本当に「霊現象」だったのか、実は良く分からない。どちらでもないように思えるし、どちらでもあるような気もする。しかし「霊」の存在に懐疑的になったら途端に見えなくなるようなものなら、存在してもしなくてもあまり影響はない、と今では考えている。
Aと出会った時は、「代償性虚像」なんて知識は全然なかった。少なくとも、自分に見えるものが目の錯覚だなどとは思いもしなかった。夏になると必ず放映された心霊写真特集の番組だとか、雑誌に載っている恐怖体験の記事だとかから、「自分にも霊感があるのだ」と思いこんでいたのだった。
この手の番組は、近頃は無闇に多くなったように思う。割に安い製作費で高い視聴率を稼げるから、というのがその理由だと聞いた事がある。ほかにも、UFOだの超能力だのを扱った番組は、当時からたくさんあった。今ではエンターテイメント番組だと割り切って観ることが出来るが、子どもの頃は「本当に起こったこと」と信じて、つまりドキュメンタリー番組だと信じ込んで、テレビにかじりついていたものだった。
現在でも、なにか青少年がらみの事件が起こるたびに、「テレビなどのメディアに囲まれて育った現代の若者は、現実と虚構の区別がつかないのではないか」というコメントが、決まり文句のように語られる。
それは、ある程度ほんとうだろう、と思う。だが実は、暴力の描写が問題にされるようなドラマよりも、エンターテイメントなのかドキュメンタリーなのかが曖昧なまま報道されるオカルト特集の方が、よほど罪が深いのではないだろうか。「本当にあるかもしれない」と思わせるのがこうした特集の楽しさだということは理解できるが、予め「作り物だ」という了解のもとに拳銃を撃ちまくったり人をぶんなぐったりという場面を見るよりも、事実なのかフィクションなのかを明らかにしないまま「死後も生きて祟る霊」なんてことを、当事者の証言だけでドキュメンタリー・タッチで作ってしまった番組を見せられる方が、よほど「生命の尊厳を軽視する」という影響を強く受けてしまいそうな気がするのだが。
話がそれたが、とにかくAが「霊界」の話を持ち出したあたりから、おれは俄然と彼との対話にのめり込んでしまったのだった。「こんな映画を作りたい」だとか「哲学などに興味を持っている」だとかの話を、自分から進んで語っていた。
だが、やがてAが自己紹介して、そのILAというサークルに勧誘し始めた時に、おれは興味よりも警戒心の方を強く持った。Aは執拗におれの住所や電話番号を訊きたがったが、頑としてそれを教えないまま、おれは池袋を後にした。「勧誘だったのか」と知ると、ちょっとがっかりしたような、騙されたような気分になっていたのだった。でも、AからはILAの電話番号を記したカードを受け取っていた。「霊界についても研究している若者のサークル」には、やはり興味があったのだ。
三日後、入試の合格者が発表された。おれは、もちろん落ちていた。
それほどショックではなかった。いかにも勉強していなかった、という自覚があったからだ。ただ、もう一度挑戦するために浪人することを親が許してくれるかどうかは、この時は分からなかった。何しろ、日本大学芸術学部への入学は、小学校以来抱えてきた「夢」だったのだ。だからその時のおれが、漠然とした「挫折感」や「将来への不安」を抱えていたのは確かだ。
また池袋へ行った。その日は、結構強い雨が降っていた。すぐに行き場所をなくしたおれは、だからといって家に帰る気にもなれず、結局自分からILAに電話をかけたのだった。
道順を教えられてたどり着いたその建物の中は、ガラステーブルと椅子が幾つか置かれていて、ちょっとした喫茶店のような感じだった。平日の昼間だというのに、たくさんの人がいた。「みんな、ずいぶん熱心に話し合ってるなあ」というのが、最初の印象だった。
やがて、不在だというAの代わりに、Bという人物が出てきた。「Aさんに紹介されて来ました」と言ったおれに、Bは「ILAがいかに素晴らしいサークルであるか」を話し始めた。
「ここでは、人生の転換期を迎えた人たちが、世界のことについて勉強しているんだ。社会のこと、歴史のこと、宗教や哲学のことを学んで、世界のために自分が何をできるか考えるところなんだ。自分もここにきて数年になるが、本当にこの出会いには感謝している」
別に世界のことを考えたかったわけではないが、五〇〇円払えば、コーヒーが一杯飲めて「おためしビデオ」を観ることができるという。おれが「人生の転換期」を迎えているのも確かだ。何しろ、当然の結果とは言え、小学生からの希望大学に落ちたばかりだったからだ。「そのビデオを観てから、入るかどうか決めてください」と、Bは言った。
案内されたビデオブースは、ついたてが立てられた小さなスペースに置かれたテレビを、ヘッドフォンをかけて視聴するようになっていた。同時に十数名が別々のビデオを観ることができるようになっていた。
おれが見せられたのは、NHKでやるようなドキュメンタリー番組風のビデオだった。司会者が実録映像をはさみながらコメントを語る、という「あれ」だ。
「世界のあちこちで悲惨な事件が起こっている。飢餓・戦争・差別。わたしたち自身も、何となく『生きにくさ』を感じ、将来への不安を持って生きている。歴史は繰り返すといわれる。どうしたら、わたしたちはこの世界を平和にすることができるだろうか。どうしたら、わたしたちは楽しく生きることができるだろうか。その答えが、この十五本のビデオにまとめられている。あなたも、これを勉強してみたらどうだろうか。」
そんな内容のビデオだった。
今なら、たとえば英会話だとか学習塾だとかのテレビCMとの類似性を幾つも指摘することができる。ドキュメンタリーというものは、事例を提示して視聴者に結論を考えさせるのが本当のやり方だ。この「おためしビデオ」のように、あらかじめ用意した結論に視聴者を誘導するのは、ドキュメンタリーではなくてCMというべきなのだ。
だが、その時のおれは、そんなことには一切気づかなかった。「面白そうなビデオだな」と思っただけだ。
ビデオが終わってから、もう一度Bが出てきた。入会金は二万五千円だと聞かされて、そのぐらいなら貯金で何とかなると判断した。
おれは、ILAへの入会を決めた。
AやBは、厳密に言えば、おれを騙したのではなかった。Aが言った通り、そこは確かに「霊界についても研究する若者のサークル」だった。そしてBが言った通り、そこは確かに「人生の転換期を迎えた人たちが、世界のことについて勉強して」「社会のこと、歴史のこと、宗教や哲学のことを学んで、世界のために自分が何をできるか考えるところ」だった。ビデオの内容に興味を持ったのは、確かにおれ自身だったし、他にもILAに蓄えられたたくさんの映画のビデオを自由に観ることができるという会員特典は、大きな魅力だった。
そして何より大きかったのは、Bがおれの左目にまつわるコンプレックスの話をじっくりと聴いて「辛い歩みだったね」と理解を示した上で、彼自身のちょっとびっくりするようなトラウマに関する話をしてくれたことだった(これは、多分彼自身の実体験だったろうと思う)。おれは、「今まで言いたくても言えなかった、言っても分かってもらえなかった気持ちを、初めて他人に受け止めてもらった」と感じた。それまでは、「うまく行かないことを左目のせいにするな。それを乗り越えるために頑張れ」と言われたことしかなかったのだ。自分でもうまく言葉に出来ないでいたことを、Bに語ることで初めて言葉にすることができた。それは、自分が感じてきたもどかしさや不当さというものを、生まれて初めてはっきり認識できた瞬間だったのだ。ILAへの入会は、そういうことがあったから、おれ自身の意思で決定したことなのだ。
T協会には、必ずしも全員がそうだとは言えなかったが、このBのように他人の痛みを直感する洞察力を備えた人が多くいた。
三週間に渡って合宿するというT協会のセミナーに出席していた時のことだ。その会場には、なぜか卓球台があった。学生時代に卓球部にいた、というメンバーが中心になって卓球大会が始められた。おれも「元卓球部」のCという男に参加を誘われたが、片目が見えないので球技が不得意であることを告げて辞退した。Cは、「そうか」と言って歩み去った。おれは「まったく体育会系はこれだから・・・」と冷笑を浮かべてそれを見送った。
ここまでは、よくあることだ。
ところがCは、ティッシュペーパーを一枚持って戻ってきたのだ。そして、そのティッシュペーパーを丸めて、かけていたメガネの片方に押し込み、「これでフィフティ・フィフティだ。一緒にやろう」と、なおも誘ってきた。
こらえきれずに嬉し涙を流しながら卓球をしたのは、それが最初で最後の体験だった。
AもBも、ウソをついておれをILAに誘い込んだわけではない。特にBは、全くの善意から、おれにいろいろな話をしてくれたのだ、と今でも信じている。基本的には、Aもそうだったのだろう。
AやBはおれを騙したのではなくて、ILAを始めとする通称「ビデオセンター」と呼ばれる施設が、T協会という宗教団体への勧誘を目的としており、T協会の資金に基づいて、T協会のメンバーによって運営されている、という一連の事実を隠していただけだ。
だが、それらの隠されていた事実が、おれにとっては重要な問題を含んでいたことも本当だ。
当時のおれは、T協会という宗教団体が数々の問題を起こして批判を受けていたことばかりか、T協会という宗教団体が存在することすら知らなかった。
しかし当時のおれは、「宗教というのは、いささかアタマの足りない奴らがするものだ」という考えを持っていた。今ほど科学が発達していない時代に、世界の仕組みについて無知だった人々が安心を得るために信じたものが宗教だ、と考えていた。だから、現代でも宗教を信じているのは、よほど迷信ぶかい人に違いないし、そういう人と近づくのは危険だ、とすら感じていた。
だからもし、ILAが特定の宗教団体への勧誘を目的とする施設であって、しかもその宗教団体のメンバーだけで運営されているという事実を予め知っていたら、まず自分から近づくことはしなかったと断言できる。
このことは、後にILAとT協会との関係の実態を知ったとき、問題に感じた部分であった。スタッフたちに、「これではアンフェアだ」と言ったこともある。だが、「あなたはここがT協会だと知っていたら、ここに来ましたか? 来なかったでしょう。あなたはここがT協会だと知っていたら、このビデオを観ることができましたか? できなかったでしょう。あなたはここがT協会だと知っていたら、スタッフたちに出会えましたか? 一生、出会うことはなかったでしょう」と言われて、「なるほど」と納得することにしてしまった。アンフェアだ、という気持ちは残っていたし、宗教団体だと知っていたら近づかなかったのも確かだが、それではこうした体験ができなかっただろうことも事実のように思われたのだ。
それからは、そのことを考えないようにしてしまった。
客観的に考えれば、確かに入会は自分の意志で決めたことだが、それはILAというサークルがT協会という団体によって運営されているという事実を知らなかったからだ。そして、その事実を知ってからもILAをやめなかったのは、やめにくい状況が念入りに用意された上で、それを知らされたからだ。既に支払った二万五千円が、おれにとっては大きなお金だった(つまり、元を取るまではやめたくなかった)ことと、見せられるビデオが割に興味深いことをテーマにしていた(特に、霊界についてシステマティックに説明されたのは初めての経験だった)こと、そしてそれ以上に、スタッフたちが親身におれの身の上話を聴いてくれる人たちだったこと、などが、アンフェアだと思いながらもILAを離れなかった理由だった。
つまり、おれがILAとT協会との関係を知ったのは、「T協会の教えに従わなければ、死後の世界で物凄い苦しみにさらされる」「T協会に協力して働かなければ、世界は破滅する」という情報をビデオによって何度も吹き込まれた後だったし、あれだけじっくり話を聴いてくれる優しいスタッフたちとの関係も捨てたくなくなっていたから、やめるにやめられなかったということに過ぎない。ビデオの内容は「これを知らないで生活していたら、死後に大変なことになる」「このままでは、世界は滅びる」と繰り返すものばかりだったし、スタッフたちは勧誘対象者のトラウマを利用するために、不充分ながらもカウンセリングの訓練を受けている人々だった。そして確かに、トラウマを自覚させられたおれには、カウンセリングが必要だった。しかも既に、世間的にはちっぽけだがおれにとっては大金の二万五千円を払い込んでしまっていた。
こうして、昼は大学受験のための予備校に通い、夜はILAでビデオ学習、という生活が始まった。おれは、そうとは知らないまま、T協会のメンバーとなるべく教育を受け始めたのだ。